日本 - 夫婦が破綻するとき、どちらかが悪いケースもあれば、どっちもどっちというときもある。お互いに相手を傷つけながら崩壊への道をまっしぐらにいくこともある。どこかで食い止められなかったのかというのは、あとになって思うことなのかもしれない。
沢村学さん(51歳)は現在、東京近郊のアパートでひとり暮らしをしている。妻も娘もどこにいるかわからない。典型的な一家崩壊ですとつぶやいた。
29歳のとき、友人の紹介で会った2歳年下の絵理奈さんに一目惚れした。何度もアプローチして何度もフラれたが、なぜか会うことは拒まれなかった。1年後、絵理奈さんが妊娠し、ふたりは結婚した。
「もっとも生まれた娘を見た瞬間、僕の子ではないとわかりました。彼女は『わかっちゃったね』と。そりゃそうでしょう。肌の色が違う。彼女はアフリカ系アメリカ人とつきあっていて、彼にフラれたから僕と結婚したそうです。妊娠中、ずっと『もしかしたら学の子かもしれないと、その可能性に賭けていたんだけど』と言ってました。あんまり悪びれたところがなかったし、つきあいが長かったわけでもないので、裏切られたような気持ちにはなりませんでした。むしろ、絵理奈の子には違いない、言ってくれなかったのは寂しいけど、いいよ、一緒に育てよう、子どもに罪はないと彼女を抱きしめました」
絵理奈さんは泣きながら「ありがとう」とニッコリ笑った。その顔がとても美しく、「絵理奈のためならがんばる」と学さんは決めたそうだ。
「絵理奈は、中規模の広告代理店で仕事をしていて、産後半年ほどで仕事復帰しました。そんなにがんばらなくてもと思ったんですが、『置いてきぼりになるのが怖い』と言っていた。家庭より仕事と思っているようでした。正直言って、僕はそこが不満でしたね」
妻が抱いていたトラウマ
学さんも当時は収入が高いわけではなかったから、共働きはありがたかったものの、育休は1年ほどとることができた。絵理奈さんの復帰はその後でもいいだろうと言い争いにもなった。だが彼女は譲らない。何かにせき立てられるように仕事へと戻っていった。
「むずかしいところですよね。お互いに時間をうまくやりくりして協力できれば、フルタイムで仕事もできるんでしょうけど、そもそも僕は残業が多かった。保育園も延長ばかりで子どもにはかわいそうで。しまいには見かねた僕の母親が、夕方以降、預かってくれることも多くなりました」
だが絵理奈さんには、それが気に入らなかったようだ。夕方、学さんの実家から子どもを奪い取るようにして帰宅すると、子どもを寝かせて会社に戻ったこともある。どうしてそこまでするのか、学さんには不可解だった。
「絵理奈にどうしてそんな危ないことをするのかと尋ねても、はっきり言わない。だけど子どもが2歳くらいになったとき、それまで知らなかったことを打ち明けてくれたんです。彼女は小さい頃に親が離婚していて、どちらも新しい家庭をもっていた。彼女は祖父母の家で暮らしていたんです。だから結婚式をしても親戚は誰も来ないと以前、言っていて、僕とも式は挙げなかった。その生い立ちは知っていたのですが、それだけではなく、小学校に上がったころ、ときどき母親が彼女を迎えにやって来たというんです。母に連れられた先で絵理奈は、父親の違う弟や妹の面倒を見させられた。つまり、母親は自分の家で働かせるために迎えに来ていた。彼女はひどく傷ついたそうです。だから、僕の実家に自分の娘を預けることに対して、大きな抵抗があったみたい。事情は全然違うんだけど“祖父母の家に迎えに行くこと”が彼女のトラウマで、拒否反応を引き起こすんでしょう。だったら自宅に子どもを連れ帰ってもらって、絵理奈か僕のどちらかが帰宅するまで、母に面倒を見てもらおうと提案しました。母は大変だったと思うけど、父も賛成してくれて」
ところがそうなると、絵理奈さんは帰宅がどんどん遅くなっていった。面倒を見てくれる人がいること、彼女にとって義母が苦手だったことなどがあるのかもしれない。週末は一家3人で過ごすことを心がけたが、絵理奈さんは夫である学さんに心を許しているようには思えなかった。
依存症になった妻が入院
娘が小学校に上がったころ、絵理奈さんの様子がおかしいと気づいた。
「なんだかため息ばかりついている。小学校に入ったばかりで娘も心が不安定になっているのに、そのケアもしようとしない。気にはなっていましたが、見て見ぬふりをしている自分もいた」
そして4年ほどたってあるときふと気づくと、妻は朝からワインを飲んでいた。「飲まないと会社に行けない」と妻は泣いていた。このままではいけないと、数日後に彼女を無理矢理病院に連れていくと、アルコール依存症になりかかっているという。もともと酒には強いのだが、いつしか朝から飲まずにはいられなくなっていたのだ。
「入院したほうが早く治せるということになり、絵理奈を説得しました。絵理奈は『娘と別れたくない』と泣きましたが、これは病気だから一緒に治そう、そうすれば早くみんなで暮らせると説明して。家族一緒でいることがいちばんの幸せなのにと言いながら、彼女がそれほど僕や娘を大切にしてきたわけでもないのになあと、やはり不可解な気がしましたね」
絵理奈さんの本当の気持ちがよくわからないまま、とにかく病気を治そうと入院させた。3ヶ月ほどたつと、彼女は落ち着いて受け答えができるようなり、トロンとしていた目もきちんと焦点が合うようになっていた。
「ああ、よかったと思いました。あと1ヶ月くらい様子を見て、外泊で自宅に戻ってみることにもなって……。ほっとしたら、今度は僕が倒れてしまったんです」
同期の有紀子さんとの関係が始まり…
極度の貧血によって、社内で突然倒れたのだという。救急車で病院に付き添ってくれたのは、日頃から軽口をたたき合う仲のいい同期の有紀子さんだった。当時、ふたりとも37歳。有紀子さんは独身だった。
「それまで上司には妻のことを少し話していたんですが、他の人にはいっさい言っていなかった。だけどそれを機に有紀子には全部打ち明けました。打ち明けながら、僕は自分でも意外なほど泣けてしかたがなかった。自分がつらかったことを初めて自分で認めたんでしょうね。母親にさえ愚痴一つこぼしたことはなかったんです」
自分の気持ちをさらけだせた有紀子さんとの間に特別な感情が芽生えても不思議はない。しかも、結婚してから学さんは一度も絵理奈さんと性的な関係をもっていなかったのだ。絵理奈さんは夫との関係を拒んだ。学さんも無理強いはしなかった。
「絵理奈との関係は結婚したときが最高潮で、あとは下がる一方だったのかもしれない。でもそれも自分が思っているだけで、彼女は最初から僕を愛して結婚したわけじゃなかったんでしょう。妊娠したからどうしても誰かと結婚する必要性を感じていたんだと思う」
学さんは、そう嘆くように言葉を発した。そんな虚無感の中、娘のために必死で働き、必死で家庭を支えた彼が、ホッと一息ついたところで有紀子さんに「女」を感じてしまったのはやむを得ないかもしれない。
「有紀子は優しかった。この上なく優しく、僕を包み込むように愛してくれました。心も体も。僕は一気に有紀子にのめり込んだ。だけど社内不倫はまずい。お互いにバレたら大変なことになる。すると有紀子は突然、引っ越したんです。会社の人たちが誰も住んでなさそうな町で、僕が帰り道に寄りやすい場所。ありがたかったです。両親が娘を旅行に連れて行ってくれたことがあって、そのときはほとんど有紀子のところにいました。連休だったので3日間一緒にいましたが、以前から暮らしているかのようにまったく違和感を覚えなかった。もっと早く有紀子の素晴らしさに気づいていればよかったと、つくづく後悔しました」
入院から4ヶ月、絵理奈さんはたびたび外泊できるまでに落ち着き、その2ヶ月後には退院した。仕事に復帰したがった絵理奈さんだが、学さんはフルタイムで働くのは負担が大きいから時短にするかパートにするか、無理のない範囲でと釘を刺した。
絵理奈さんは素直に時短の道を選んだ。最初は母親に怯えているような顔をしていた娘だが、そのうち慣れていき、母に甘えるようになった。学さんは絵理奈さんの様子を伺いながら、有紀子さんとの関係を続けた。別れる気はまったくなかったという。
「自分ならうまくやりおおせると思っていたし、絵理奈には母親としての役割しか期待していませんでした。だから彼女が僕を求めてきたとき、正直言ってびっくりした。そして申し訳ないことに僕は役に立たなかった。絵理奈はショックだったみたいです。『あなたにとって私は女じゃないのね』と泣き出して。『今まで拒否していたのは絵理奈だから。驚いたんだよ』と言ったけど、有紀子に悪いという気持ちだった」
今度は学さんの心のバランスがとれなくなっていった。有紀子さんだけが心の支えだった。
高校生になって荒れた娘、向き合ったときに放った一言
娘は、希望していた公立高校に進学した。40代半ばになった学さんは、新しい部署の立ち上げに尽力し、会社からの信頼も厚くなった。有紀子さんと部署は違ってしまったが、ふたりの関係も盤石だと思っていた。
「そのころですかね、絵理奈が急に仕事を辞めたのは。疲れたとぽつりと言っていました。何か趣味でも始めたらどうかなと勧めましたが、本当に妻の心に寄り添ってはやれなかった。仕事と有紀子の存在だけが大事だった。娘は絵理奈に任せていた。だけどそれが間違いでした」
高校生になった娘がたびたび補導されるようになったのだ。荒れているようには見えなかったのだが、万引きを繰り返していた。
「家族に向き合って、と有紀子に言われました。『私は大丈夫、待ってるから』と。だから仕事も極力、定時で引き上げるようにして娘と話し合った。娘は『ママは壊れてるよ。パパ、知ってるの?』と。娘が学校に行っている間、どうやら絵理奈は家に男を引き込んでいたようです。衝撃でした。さらに台所を調べたら、床下の収納庫にワインの瓶がたくさんあって……。不覚でした」
妻は再入院した。娘に心から詫び、彼は「ママのいない間、ふたりでがんばろう」と真摯に言った。
それから5年の間に、妻は入退院を繰り返し、自宅に戻りたくないと言い出したため、病院近くにアパートを借りた。どうやらアパートに出入りしている男性がいるらしい。責めるつもりはなかったが、自宅に戻ってきてほしいと言うと妻の目がつり上がった。
「浮気しているくせに何よ、って。妻は知ってたんですね。『自分だって』と言いたかったけど言えなかった。僕の不倫が妻を追い詰めたのか、妻は追い詰められたから僕の浮気を探ったのか。そのあたりはわかりません」
誰からも選ばれなかった
一方、娘は高校を卒業するやいなや家を出て行ってしまった。ときどき連絡はくるが、どうやら夜の世界で働いているようだ。
「妻とふたりで購入した家はまだローンも残っていますが、もうここに住んでいてもしかたがない。結局、家を売って僕は今、小さな賃貸マンションにいます。両親もそろそろ80代になるし、いずれは僕が面倒をみるしかないので、今のマンションにいられるのもあと何年かでしょうね」
なんとか踏みとどまってきたのに、娘の成長と妻の不調によって、家族はとうとうバラバラになった。
一体、自分の結婚生活は何だったのかと学さんはずっと考えている。有紀子さんとの関係は10年を越えたが、彼女は親の介護のためにもうじき実家に戻るそうだ。
「彼女は関西の人なんです。うちの会社、関西にも支社があるので、彼女はずっと異動願いを出していた。それがどうやら叶うようです。『私はひとりっ子だから、これ以上、親を放ってはおけない。本当はあなたと一緒にいたい』と彼女は言いますが、最後は僕より親を選ぶんでしょうね。結局、僕は誰にも選ばれなかった。結婚の動機からして妻はやむを得ず僕と一緒になっただけだし、必死に向き合った娘も僕を捨てた。そして有紀子も。僕の何がいけなかったのか、誰か教えてほしい。そんな気持ちです」
最初のボタンの掛け違いが響いた結婚生活だったのか、あるいは彼の努力で運命は変えられたのか。それは誰にもわからないのかもしれない。絵理奈さんは酒に逃げたが、学さんは有紀子さんに逃げた。人は何かに依存しないと生きていけないものなのかもしれない。かける言葉も見つからないまま、学さんと別れるしかなかった。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
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舔狗必须si。
因为舔狗就是扰乱市场的普信制造机。
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