日本华人论坛 2010年度第一回华人論壇日本語作文コンク



日本 -
みなさんに全部の作品をすばやく見られるよう、すべての応募作品をここで纏めさせていただきます。

管理人編集の為、みなさんの書き込みをご遠慮下さい




目次



番号    テーマ           筆者    階数

第一号:  日本での初体験            zjaml     2階 http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1120819&pid=19284282&page=1&extra=page%3D1



第二号:  日本で過ごした生活           yifen                 3階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1121664&extra=page%3D1



第三号:  日本、ありがとう            10246202          4階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1125168&extra=page%3D1


第四号:  日本の印象              cdma3G    5階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1125486&extra=page%3D1


第五号:  日本にいる幸せ             小点儿                 6階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1126006&extra=page%3D1


第六号:  日本と日本人に対する感情         小美l     7階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1130085&extra=page%3D1


第七号:  日本の異文化体験            harunagoya    8階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1130633&extra=page%3D1


第八号:  新しい人生を与えてくれた日本AV界    紫沙发     9階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1133169&extra=page%3D1


第九号:  DEATH NOTEに載せた俺!!!---死神は日本に居ていた!
                        可能性     10階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1136267&extra=page%3D1


第十号:  日本で感じたこと           夢の雫     11階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1137512&extra=page%3D1


第十一号: 日本の生活             狂い猫      12階
http://www.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1137741&extra=page%3D1


第十二号: 漫画に釣られ日本に来た私     小猫笑笑     13階
http://www1.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1144856&extra=page%3D1


第十三号: 日本、頑張れ           抱抱宝宝    14階 http://web1.xiaochuncnjp.cn/bbs/viewthread.php?tid=1146257&extra=page%3D1 

评论


日本での初体験   By  zjaml





 初めて成田空港についた時の記憶、今でも鮮明に映っています。多分飛行機でただ2時間くらいしかかからなかったせいか、

見た目では同じアジア人種なのか、降りたときにそんなに異国だとは感じられなかった。そして少し馴染んだからシステム

の根本的な違いに気づき始める私だったが、荷物が多くて手が足りなかったか、あまりにも多くの新世界の情報に圧倒され

たか、チケット売り場で1100円のJRチケットを購入して、その3歩先前の改札で既にチケットが何処にも見つからず、パニック

状態に陥た状況でした。それは日本での初めての電車経験でした。もうあの時から決まったのかもしれません。この国で、

いろんな初めてを経験していくことを。

 


  不慣れな感覚に沈まる暇もなく、その次の週に仕事の現場に向かったのです。日本語は多少話せるのかもしれないが、

やはり文化上の違いや言葉のニュアンスなど、当時気にもとどまらなかったが、今になって思えば恥ずかしく感じます。

例えば席についたら周りに名刺を配り始め、それも現場の20人くらいほぼ全員逃さずに。中国人の情熱というものは覚えらせたの

かもしれないが、今だったら絶対できないだろう。そして、最初に先方のマネージャに挨拶した時、「うちの社長に聞きました

よ、XXさんって結構面白い人ですね。」という衝撃的な発言だったのです。


 


  運命はきっと日本のいろんなことを早く私に見せようとしていたと思います。最初の仕事は商談段階に停滞し、4ヶ月ふらふ

らした末、もう行動しないといけないという状況になったのです。そのお陰で日本での最初の面接になり、今の会社に入った

のです。地味な日本風強い会社ですが、温もりのある場でもあります。日本のことをもっと知るようになり、もっと好きになった

のもこのことからでしょう。

 


  光に当てながら輝いていた真赤な満山の紅葉や、風に載せられ切なく散りゆく桜。真夏の夜空を飾る花火、梅雨に盛る

色違い豊富な紫陽花。隣に雪の積もった露天風呂の寛ぎ。日本では当たり前のようですが、最初に体験する私には、その貴

重さがよく分かる気がします。

 


  一体日本でどれだけの初体験をしたのでしょうか。最初にアメリカの宣教師に誘われ一緒に教会で人の生死について討論す

るような経験もあるとは驚きです。バイクの免許試験で5回落ちた悔しさも、お台場で見た爆笑満点のマジックショーも、転がり

続けたスキーも、最初の車の試乗も。もう日本式のもてなしに浸透されているのかもしれません。

 


  そして最近になって、好きな人と出会えて、人生のいろんな初体験が加速したような気がします。免許とって初めて車借りて、

レインボーブリッジを渡った時の感動で、彼女に電話したら、会いたい気持ちを押えきれなくて、無謀にも真夜中に6時間ほど運

転して、関西にいる彼女に会いに行ったのです。恋愛は時には人を狂わせるとは言われて全くその通りかもしれません。ただ人

生ってすべて計画や理屈通りになったら面白くないのではないかと思います。そして時には自分の本音に従いちょっと勇気の必要

な行動を取ったほうが思いもよらぬ見返りが戻ってくる。奇跡のように、あの夜の500kmの道は、人生の残り道をそのまま変えた

のかもしれない。好きな人と一緒に、もっと好きな道、世界を探せようと。

 



  人は生まれて、すべてが初体験だと言えます。しかし、成長するに連れ、環境になれたせいか、安定を求める本能なのか、

未経験のことに取り込む事が苦手に成ってきます。これは勿体無いのではと思います。色々未知な世界とライフスタイルがすぐ

あそこに実在しているのに、必要なのは手を伸ばして、足を踏み出す少しの勇気と好奇心だけなのかもしれない。そしたらきっと

素敵な人生を送れるに違いありません。

评论

 
日本で過ごした生活    By  yifen

  


  2006年84日、人生の最大渡る、夢の中で追い求めた日本の国土を踏み始また、何だが緊張しすぎ、

迎える人に挨拶さえも忘れてし
まって、怒られました。
  
  

 私は留学に行くではなかった、自分の夢のために(つまり、お金のため)研修生として、日本へ働きに


行ったので、留学生みたいな自由はないし、禁止することも多いし、でも、自分が選んだ道で

前を向き頑張らなくちゃ。。。毎日同じ日々を送りながら、日本人を抵抗していました、

今は思い出すとつまらないことだなって。。。

つまらない毎日なんだけど、人生のいい経験を学んできました、おばあさん達は煩くても、

たまたま言ったことも正しいでした。なかなか慣れない日本の習慣や、言葉や、困ることになっちゃって、

一緒に来た子達はペラペラに喋ってる、羨ましいと思いながら、劣等感を持つことになってしまった(ショック)。

社長はそのことを知って、わざわざ日本語の先生を雇ってくれまして、あの時は言葉にできないけど、感動しました、

社長はすごくいい人でした、一生でも忘れられない、教えてくれた言葉:だらしない男性と結婚しないこと。


人生は悲しいこと、辛いこともちろんあるからさ、乗り越えたら、楽になるやで

(酔っぱらってる時に言ったことなんだけど、勉強になる言葉でした)

日本語を勉強しながら、平和の毎日を送りながら、一人が私の生活を破壊していた、恋に落ちってしまった、

彼はそんなにいい人ではなかったのに、何で好きになったのか?

何千回自分に聞いたけど、答えられない、今でも。。。。結局は二人両国に離れていった、悲しかったけど、

楽しい時もたくさんありました、人生の思いでとして心の中に置けばいいんだ。

(もともと、恋してはいけないことで、帰国される恐れがある)
  



 日本での三年間、いい経験を勉強して、戻りました。それから、私も素晴らしいことを会うように願います!





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日本、ありがとう      By 10246202





 自分の夢を抱えて、母親のもとから離れ、日本へ向かいます。

 同行四人です。空港で、厚いガラスの向こうにいる親に、手を大きく振りながら、号泣していた彼らをみて、 私も涙が止まりませんでした。

  初めての飛行機、
 初めての海外、

 初めての私の日本です。


 さすがに若い私たちが、さっきまで空港で泣いていたのに、飛行機に乗ったら、美味しい食事ときれいな空で 一気に気分が晴れました。もうすぐ日本に着くと思うと、胸が騒ぎます。

 私は寮に住まないので、学校の先生が私を残して、ほかの三人を連れていたのです。別に一人でも行けると 自信満々の私が、トイレに行っても、洗面台の使い方がわからない。駅に行っても、 電車の乗り方がわからなかったです。けど、不安なんかは全然感じませんでした。

 耳の聞き慣れてない言葉、
 名前の知らないにぎやかな街、

 可愛い日本人女性の顔、

 知らない周りが私にとって新鮮感いっぱいでした。


 2時間の道なのに、私は5時間を使って、ようやく友達の家に辿り着きました。お昼見ていたずらり並んでいる 高層ビルと、ハイスピードで走っていた車を思い出し、田舎から来た私が初日興奮しすぎて、眠れませんでした。 しかし、現実に戻ると、所持金わずかの五万円と、実家のトイレと同じ大きさの部屋で、 日本での留学生活を始めました。

 天国に見える日本がいつの間にか地獄になってしまいました。電車にも乗ることがなく、自転車で2時間の通学。 思っていた日本料理の刺身、寿司じゃなくて、卵炒めと納豆の毎日。バイト先で汗を流しながら、 上のおっさんに怒鳴られる日々でした。

  夢が叶えるように、日本に旅立ち、未来がどうなるか、わからないまま、時は流れていく。

 今年の十月で、日本にきて五年です。同期はもう中国に帰った人もいるし、まだ相変わらず学校に通いながら バイトで頑張っている人もいます。私は運がよく、自分で開業することができました。嫁ももらって、子供もできました。

 五年間を振り返り、私の感情が鈍くなったかもわかりませんが、悲しいとも、懐かしいとも、言葉で表現できないです。

 流していた涙と汗が報われます。お金、学歴、名誉をたくさん頂きました。嬉しい気持ちは隠せません。頑張ったらできる、
と私はそう信じて、やってきました。

 しかし、日本に感謝の気持ちでいっぱいの私が、日本で亡くなった仲間や、病気と闘っている知り合いを見て、 胸が痛みます。やっぱり頑張ってもできないことがあるとのことに気付きます。でも諦めないで、 どんな苦しい峠でも乗り越えられたのに、ここでギブアップするわけにはいきません。

   複雑な気持ちで、日本、ありがとう。

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日本の印象      By  cdma3G





 日本の印象について、人によって恐らくみんな違うと思う。それは、皆さんの日本を見る角度がそれぞれ違うからだ。


 


 私は、子供の頃からずっと日本のアニメを楽しんでいた。まだ覚えているのは、毎週日曜日の夜六時に、魔法のポケットを

持つ「ドラえもん」のアニメを楽しみにしていたことである。また、正義の味方「ウルトラマン」もよく見ていた。

ほとんど夕方の時間に放送されたため、いつも晩御飯よりテレビを優先する行動にお母さんに怒られたことも少なくなかった。

それにも関わらず、私はいつもテレビの前で番組の開始を待ち続けていた。その頃は、いつか日本に行くなど、

まったく考えたこともなかった。しかし、アニメを通して、日本に対するイメージはとても良かった。桜、刺身、侍、そして、

忍者のイメージがとても強かった。



 そして、200210月に、私は初めて日本に来た。福岡空港に降りた時、日本の第一印象はきれいな空気と

奇妙なニュアンスだった。いまだにそれが何であるのかよくわからないけれど、10月になると、その記憶が

必ずよみかえって来るのだ。それがとても不思議だ。恐らく、太陽の日差しと気持ちのいい風プラス空気のにおいだと思う。


 


 日本に来て七年以上も過ぎた今、私はすっかり日本人らしい生活を送っている。寿司と刺身などの日本料理を楽しみながら、

たまには自己流のみそ汁も作っている。毎年桜が咲くと、友達を誘って花見に行く。また、秋には紅葉を見るのが楽しみだ。

そんな生活の中で、なかなか変わらない物もある。それは、初めて日本の夜と出会ったときに、見かけた景色だ。

日本の夜があまりにも魅力的で、昼のにぎやかさと違って、日本の夜は静けさと安らぎで、疲れた人々を癒してくれると思う。

そこで、私はこの一枚の写真を撮った。




 日本の印象について、次に述べてみたいのは日本人の礼儀正しさである。電車などの公共施設の中で隣の人の足を

すこし踏んだ時にも、「すみません」と先に謝るのが日本人であろう。また、レストランなどの店へ行くと、

店員は必ず大きな声で「いらっしゃいませ」と、勘定後は必ず「ありがとうございました」と感謝の気持ちを込めて言う。


 もう一つあげたいのは、思いやりがある、よく気配りするということである。運転する時よく見られる「他人優先」の考えも


その一つだと思う。日本に何年も経った人にとっては、当たり前のことかと思われるが、初めて日本に来た人にとっては、

極めて不思議なことである。車を運転している人の前で、横断歩道を渡っている人がいれば、必ず人を先に通らせてから、

発車する。クラクションをあまり鳴らさないのも、他人の気持ちをよく考えているからなのではないかと思う。


 

 去年正月に中国へ帰って、横断歩道を渡ろうと思ったら、左から右折してきたバスにクラクションを鳴らされながら、

ぶつかりそうになった。一旦バスの通過を待っていたら、次々と私の前を車とタクシーなどが通っていった。中国では、

「他人優先」の考えより「自分優先」の考えのほうが普通であろう。


 

 今まで日常生活のことや日本人の思いやりなどについて述べてきたが、ほとんどよいことばかりをあげた。

決して日本人へのお世辞をあえて言っているわけではない。一人の外国人が日本に来てから、自分の目でみたものを、

自分の国と比べながら、感じたことと思ったことを述べただけであり、あくまでも私なりの日本の印象である。



 日本について、皆さんはどのように感じますか?ぜひこの機会にいろんな事を聞かせてもらいたい。



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日本にいる幸せ       By  小点儿







 明けましてだいぶん経ってしまいましたが、
 

 私の方は去年は、結婚という人生の一大イベントを迎えまして色々と奔走していました
 

 周りの人々に支えられ本当に良い結婚式とPartyをする事が出来ました。ありがとうございました
 

 新婚生活で最近、思う事は夫婦ってのはお互いの欠けている部分を補って行くもんなだと改めて感じています。
 




  良い話を一つしましょう。
 

 人は生まれる前の魂は真ん丸な水晶のような形で、生れ落ちる時に真っ二つに割れてしまいます。

 別れてしまった半分の割れ目にピッタリ合う見つけ出す事が神様から与えられた試練です。

 その証拠に自分の半分を失ってしまい不安だから赤子は生まれた時に泣き、

 半分を誰に教えられる訳でもなく求めるから人を愛します。人は生まれながらにして不安全だから、
 
 それを補い加える相手を探し求めているんだと思う。
 

  しかし現実のところ、ピッタリあては丸Better Halfなんてそう簡単に見つからない。

 人生の経過に合わせて割れ目も欠けてくるかもしれない。でも、そこは人間だからこそなせる業!
 

 相手に合わせて形を少し変えてあげれば良い。それでも駄目なら子供が割れ目の隙間を埋めるバテに

 なってくれるかもしれない。
 

 子は鎹。昔の人はうまい子といいますね。
 

 家族って本当に素晴らしい
   

 結婚してから将来のことを考えるのがもっと楽しくなりました
 

 夫はいつもそばに色々と応援してくれます。それを否定せずに笑顔で聞いてくれます
 

 また、あるときは勉強の事や人間関係について不安になっていても、いつも、と

 言ってくれます下手すると私自身よるも私の可能性を信じてくれています。
 

 ありがたいことです。
 

 人生で一番、欲しかったものが手に入りましたよ。


 


  それでは皆さんにとっても今年一年が素晴らしいものでありますように

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日本と日本人に対する感情   By小美l




 日本に来て、もう5年目になった。日本に対する感情も時によって変わっている。

  

 正直に言えば、日本に来る前に、日本に対する感情もあまりよくなかった。日本人と話せるか、
 
日本人に差別されるかなど、とても不安だった。
 

 

 初めて来たところは福岡国際空港で、日本語学校の先生方々が笑顔で迎えに来てくださった。

具合は大丈夫ですか、両親に電話しましたか、日本はどうですかといろいろ聞かれて、

日本人は親切だと初めて思った。
 


 日本語学校の先生はみんな日本の方だが、学生全員は中国人で、授業中にもかかわらず中国語で

しゃべていた。しかし、先生は怒ることが一度もなかった。いつも丁寧に日本語を教えていただいた。

その時は日本人我慢強い人間だと思った。
 


 4月に日本に来て、ちょうど桜満開したところだった。福岡の大濠公園で花見に行って、たくさんの

桜の木があって、あるで海のようだった。風に乗せて舞い落ちる花びらを見て感動した。

日本の桜は本当に素晴らしいと思った。
 


 時がたったとともに、私はアルバイトを始めた。一番最初のアルバイトはお弁当の盛り付けだった。

流し台にお弁当箱をのせ、その中にオカズを入れる単純な仕事だった。自給低いけど、

そこにたくさんの中国人がいてくれて、残ったオカズも食べられたので、楽しく充実な日々を送った。

自分の努力でお金を稼いだからすごく嬉しかった。これで日本で頑張っていけそうと思った。

日本に感謝の気持ちも膨らんできた。
 


 少し日本語が上達したところ、アルバイトの掛持ちもした。朝は工場で夜は居酒屋だった。

工場と全然違う雰囲気で最初はびっくりした。ちょっと掛持ちきつかったため、居酒屋を1ヶ月で

辞めようと店長に相談したら、すごく怒られた。いろいろなことを言われたけど、

日本人を馬鹿にするなしかわかっていなかった。普段のやさしい店長と全然違って、

かなり大声出して、日本に来たばかりの私にとって、どんでもない事件だった。日本人は

怖いイメージが残された。
 


 暇の時、時間があればテレビを見る趣味もあって、料理の番組もよく見た。ちょっと不思議なことは

日本人が何かを食べた時に美味しいしか言わない習慣があるそうだ。例えいくらまずくてもテレビでは

笑顔で美味しいと口にする。日本人は自分の気持ちを正直にいわない人間だと思った。
 


 日本人と接して、時々分からないところがたくさん出てきた。いいですや結構ですや、ちょっとなど、

いつも曖昧な言い方をするのが嫌いだった。もっと自分の気持ちをはっきり言ってほしかった。

日本人は曖昧なところが多いのが納得できなかった。
 


 大学に入っていろいろな学生がいった。日本人は独り言結構言うなと初めて思った。

先生も学生もこんな日本人はたくさんいった。日本人うるさいと思った。
 


 日本に対する感情は毎日変わってると言っても過言ではない。楽しい思い出がたくさんありながら

悲しい思い出もある。でも、日本に来て良かったと自分は思う。一度も後悔したことがなく、

一度も差別されたこともない。日本は住みやすいところだと思ってる。今日本に対する感情は

日本来る前より随分変わってきた。今のままで日本の生活をたのしんで行きたいと思っている。

  


 みなさんもこれから私と一緒に頑張ろうね。


 今は困難があるかもしれないが、一生懸命それを乗り越えて、きっと成功ができ、

自分の人生を輝けると思うよ。


  ファイト!  


 最後まで見ていただいてありがとう ♪♪



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日本の異文化体験      By harunagoya





 私は大学の日本語教師を目指し、日本語の知識を習得し、日本文化、文学を研鑽するために、

日本に留学しました。


 

 小さい頃は「将来の夢は何ですか」とよく聞かれました。これは作文練習の中でよく出てくるテーマで、


小学校国語の授業の時、私の先生もこの質問をしました。科学者になりたい子もいれば、将軍や医者に

なりたい子もいました。私は「先生のような素晴らしい教師になりたい」と正直な心で答えました。

この夢はずっと心の底にあったので、教育大学に入ることになりました。
 
 


 そしで「何故日本語を専攻にしたか」もよく聞かれます。それはいろいろな理由があります。小学生の頃から


『一休さん』や『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』などのアニメーションになじみ、大きくなってからは、

『雪国』や『絶唱』などの作品中の日本的な美に引かれたからです。その中の奇麗で静かな国、優雅な雰囲気、

美しく無邪気な日本の女性、勤勉で純朴な人々などに心が奪われました。ぜひ一度あの国へ行って、

自らあの国の文化を感受したいという願望が生じました。そのため、大学の四年間は一生懸命日本語を

勉強しました。日本語、日本文化、日本文学などの日本に関することを、スポンジが水を吸うように

興味津々にどんどん身につけました。それは私なりの外国語習得の方法です。一つの外国語を勉強する際、

好奇心を持つこと、そして、その国の文化や人などが好きであることは非常に重要だと思います。

それは外国語を習得するとき、強い原動力になるのです。

 


 200346日、名古屋の桜が雨に散った頃、この国にきました。その日から、日本での生活は、


初めての異国生活というよりは、国で勉強したことやメディアにより認識した日本に対する

イメージを確認するようなものでした。


 


 最初の日本の印象はテキストの通り、環境がよく、緑がいっぱいあり、道にごみがあまりないということでした。


一番感心したのは青空です。今の中国では、経済がすばやいスピードで発達していますが、環境汚染の問題も

出てきました。青空はもう子ども時代の畑で遊んだときの思い出になりました。今日は農村でも、工場が建てられて

都市化にしつつあります。人々はコンクリートの家に住んで、大自然から離れました。「自然に回帰しよう」、

「次世代のために資源を大切にしよう」というスローガンが出されて、人々の関心を集めています。

今一部の大都市の地域ではごみ分類が実験的に行われています。これからは環境保護の意識

高めなければならないと思います。
 
 


 留学生活が始まってから、いろいろな体験をしました。日本文化の源は中国であるので、日本で暮らしてみたら、


あまり違和感がありません。同じ黄色い皮膚のアジア人であり、目に入る文字の大部分は漢字であり、茶道や書道、

お寺やお祭りなどにも中国古代の文化の影がよく見られます。日本の伝統文化がよく引き継がれて

保護されています。時々、懐かしい感じが湧き上がります。ただし、町中茶色い髪の毛の人が多すぎて、

自分が欧米にいるのか、日本にいるのかよく錯覚します。一方、茶会に参加したり、温泉旅行に行ったり、

日本料理や着物等いろいろなことで日本文化を味わっています。あのわさびと抹茶に日本の香りや味があり、

桜や紅葉に日本の色があり、お辞儀や挨拶に日本の心があり、この島国の上空に大きな「和」

いう文字が漂っています。


 


 外へ出て、日本人と接触してみるとやはり友好な人が多いことにも気付きました。今、日本の企業は


どんどん中国へ進出しています。日本の商品のマークには「中国製」(MADEIN CHINA)のほうが

よく見られます。中国は日本人にとってはわりと身近な存在でしょう。しかし、このような経済のことは、

日本人に対しては喜びであろうか憂いであろうか、本当に複雑なことです。ところが、

このように身近な存在であっても、日本人は中国に対する知識が極めて浅いと思います。「中国にも醤油

がありますか」と日本人に聞かれた友人がいます。「中国人も箸を使いますか」などの質問もありました。


それに対して、私たち留学生は苦笑しながら説明しました。反省してみると、中国側がもっと積極的に世界に

自分の文化を紹介する必要があると思います。そして、ある時期先生になった日本は、

昔先生であった中国のことをもっと知って欲しいと思います。
 
 


 つぎに具体的な異文化体験の例を挙げてみます。最初は、ゴミが決まった日にしか出せないことは


面倒くさいと思ったが、そのうちに慣れてきて、大切なことだと思っています。しかし、一時帰国したとき、

ゴミを分類せずに出すことに対して、逆になれなくて、とても残念なことだと思いました。もう一つは

よく気になることですが。日本人が中国に旅行に行くとき、一番気になるのはトイレの問題だそうです。

よく日本人に聞かれるが、「中国のトイレはドアがないですか。みんな平気ですか」と。農村

まだドアのないトイレがありますが、都市部では、ほとんどドアがあります。ドアがない場合は、

条件の厳しいところや古い建物、またはドアが壊れたところなどです。もちろん不便であり、

改善すべきですが、中国の諺には「人には三つの急ぎことあり」トイレに行くことはその一つであるので、

我慢できます。一方、日本では、今ほとんどの女性のトイレには音姫が設置されています。

それは東大のある女子学生が発明したそうです。女性がトイレの音を人に聞かせるのは嫌なので、

よくトイレの水を流します。音姫が水の音を電気で鳴らして、女性のプライバシーを守り、水を節約できます。

また、地下鉄や道でよく見られることですが、若い女性が堂々と人の前で化粧をすることと、若い男性が

平気でエロっぽい成人漫画を見ることです。あるアメリカ人の留学生がそれらの現象にとても

不思議だったそうです。そういうことは私たち留学生から見れば、とても恥ずかしいことだからです。

それはプライバシーの問題にならないであろうか、とても不思議と思います。ルース・ベネディクトの『菊と刀』の

「恥の文化」という理論から解釈できない問題でしょう。

 


 そして、両国の女性についても少し触れたいと思います。今の中国の女性はほとんど自立して働いています。


中国の家庭は共働きが多いのです。農村部でも、若い女性は都市へにいきます。女性は結婚しても

仕事をやめなくで、家庭と仕事を両立しています。「一人っ子」政策のため、都市部の女性の育児は

昔より楽になりました。普通の会社では出産休暇が三ヶ月あります。核家族で両親から離れて、

ほかの都市で働いている家庭は、夫婦二人で育児や家事のことを分担しています。これは今の時代では

もうごく普通のことになりました。男女平等は家庭から始まるからです。職場では、能力あれば女性でも

きます。さまざまな分野で女性は男性と平等に働いています。昔仕事ができる強い女性は

「女強人」(強い女)と言われました。しかし、当時仕事はよくできるが、家庭のほうは

あまり幸せではないというイメージでした。今は男性が女性を理解し、支持していますので、

女性は家庭と仕事が両立できるようになりました。中国の女性は「半辺天」(天の半分は女性で支え

られているという意味)になって、ますます強くなってきました。ところが、求人広告では「男性優先」


という言葉も出てきます。男女の生理的な差を理由に、男性を優先に採用するということ自体は

男女不平等の現れです。そのため、女子大学生はもっとがんばって、たくさんの知識を身につけ、

男性に負けないように努力しています。
 
 


 日本の女性はいかがですか。幸せでしょうか。家庭と仕事が両立できているでしょうか。男性や社会に


認められているでしょうか、などの問題に興味があります。日本に来て、日本人の女性は専業主婦のほうが

多いと思いました。しかし最近では、社会へ進出する若い女性が増えているようです。

 


 日本人の友人がいます。彼女は中国のことが好きで、中国へ一回旅行してから、自分で中国語を勉強し始めした。


仕事をやめて、中国へ留学しました。今中国と貿易関係のある日本の会社で働いています。

彼女の夢は上海で働くことです。数回の中国旅行で中国のことが好きになり、中国女性の働いている様子を見て、

憧れを感じると本人は言っていました。中国で働き、自分が本当にやりたいことをやって、自分の能力を生かして、

そのような人生は彼女にとっては幸せなことでしょう。

 


 今、上海で働いている日本人の女性も増えています。『人民中国』という雑誌に「上海ライフを謳歌し働く


日本人女性たち」(須藤美華、2003)という文章が載せられています。


 


 仕事や留学で、上海に滞在する日本人が増えている。その数は2万人を超えると言われるが、なかでも元気に


上海ライフを謳歌しているのが、2030代の働く女性たちだ。 
 

 「日本でOLをしていても閉鎖感を感じていた。これからは中国の時代と思い、留学した。働きながら、


中国語をスキルアップさせていきたい」
 

 「女性にとっては先が見えてしまう日本にいるよりも、はるかに責任ある仕事を任せてもらえて、やりがいを感じる。


思い切って、飛び出してみて本当に良かった。自分の人生に積極的な中国人にも刺激を受ける」
 

 「刻々と変化を続けるこの国にいることが楽しい。国にも、人にも活力がある。日本のような、


こうあらねばならないというプレッシャーもないから、自分らしくのびのびと生きられる」
 

 彼女たちは、上海で働く理由をこんなふうに話す。



 


 この文章をあの友人に見せました。彼女はすごく感動したようです。彼女が所属している会社は小さい


貿易会社ですが、中国語ができる人は二人います。もう一人は男性です。中国語能力は

彼女の上ではないようですが、社長に重用されています。彼女はただ事務的な仕事をやって、

簡単なファックスを翻訳して送ったり、電話に応対したりするだけです。一方重要な事務や会議、

出張などは全部その男性に任せられています。彼女は最近すごく悩んでいるようです。中国へ働きに行きたい

けれど、旦那さんが賛成してくれないからです。仕事をやめたら、家庭の負担が重くなり、全部旦那さんの肩に


かかってきます。このまま仕事を続けていてもやりがいがないと彼女はいいました。更にこの会社の社長は

まだ男尊女卑の思想を持っているそうです。

 


 そう思うと、確かに、日本OLといえば、事務的な仕事だけをやっているようです。女性はただ


男性の補助にすぎず、女性の能力、やりがいを最大に生かすことができないようです。それは中国と

大きな違いだと思います。中国の女性は職場で重要な役割をして、自分の意見を堂々と述べます。

また、女性としての知恵や才能を活用しています。女性の社会的地位も認められています。
 

 

 最後に、私の日本での異文化体験の経験です。「郷に入っては郷に従え」という諺があります。それは


先人の経験であるので、とても役立っています。異文化コミュニケーションも同じです。つまり、

自分のアデンティティを持ちながら、相手の立場に立って物事を考える、相手を真似して行動すれば、

異文化コミュニケーションを楽しむことができます。




後記:

 振り替えてみると、日本に来てもう七年になりました。
 
  あの人に感謝しなければならないです。
 
  十年前、私のノートの扉に「国境を越えての御活躍を期待しております。」

と書いてくれたあの人のおかげで、私の夢を叶えさせました。そんなに活躍

していないけど、意義ある生活を送っております。
 

この国で新しい信仰と出会って、運命の人とであったことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 
ここに来てよかった。




评论
 新しい人生を与えてくれた日本AV界     By  紫沙发



あの時、途方に暮れていた。。。



愛したあの人は突然消えてしまった。何の予告もなく、連絡が途絶えた。


東京に来たばかりの私にとって、探すにはとても無理だった。


なぜなら、彼の電話番号すら知らなかった。


唯一思い浮かんだのは彼の会社が秋葉原にあること。




あいたいという気持ちが日々増えてく。


もし私も毎日秋葉原にいるなら、いつか偶然に出会えるかもしれないと


私はそう思って、今の会社に入った。


AV問屋の営業だった。


毎日アキバの量販店、dvd屋さんを巡って営業するのが私の仕事。



もちろん抵触はあったけど、彼に会える可能性があったら、


仕事の内容なんかどうでもよかった。



最初入ったとき、会社のしょぼさにびっくり。社長と部長しか社員のいない会社だった。


そして、ズラリと棚に並べてある大量なアダルトビデオ!


AVは見たことあるけど、あんなにたくさん目の前に置いてたら、さすがに直視はできなかった。




でも、それはただのはじまりだった。


そこから、私は毎日社長と部長の後について、営業活動を始めた。


ドキドキしながら量販店のアダルトコーナーに入ると、


「あらっ、社長、今日も女優さんを連れて店廻りに来たの?」と店員さんが声をかけてきた。


(説明:店廻りというのは女優さんたちがイベントをやる前に各お店に行ってあいさつをすること。)




女優さん?!まさか、av女優に間違えられたか。

怒りを抑えようと精一杯だった。


社長は笑いながら


「なに言ってるの。うちの課長ですよ。でも会社が危なくなったら出しますけどね。


こんないい子に女優になってほしくなかったら、もっと仕入れなさいよ」と冗談でかえした。



冗談と分かりながらもすごくいやな気持でたまらなかった。



お店を出たら、社長は私の肩を叩きながら「こんなチッポケなことで機嫌を悪くしてどうすんだよ、
あなたは営業だから、どんなこと言われてもうまく返して、売上を取ってこればいい。ほかのこと一々気にしてたらきりがない」と言った。


その時、納得いかなかった。何度か何度かavを陳列しながら、涙があふれたこともある。



だがまだあの人に出会えてないし、これからの生活もある。とりあえず我慢。



この仕事は私にとって最大な魅力があるーー毎日アキバに居られること!





あのとき資金の関係で、会社はほかのavメーカーと同じ事務所を共用していた。

メーカーの従業員の一人は元av嬢。


事務所のなかに女の子は私とあの子しかいないから、自然に仲良くなった。


av嬢になった経緯を聞いてみると、


「あの日友達と待ち合わせしてて、向こうが遅れて、待ってるときにプロデューサーに声かけられて、まあやってみようと思って業界に入ったわけ」






軽っ!!体を張って女優さんになった理由はあまりにも軽すぎて、驚いた。



やはり国が違うせいなのか、理解できなかった。

だけど、あの子はとても優しくて、気配りのできる子で、


とてもいい印象だった。







そして、毎日事務所にいろんな女の子が面接に来る。

清楚な子もいれば、ギャルもいる。年配のお母さんもたまにくる


もちろん女優になった理由もさまざま


生活のためにやる人、有名になりたいからやる人、


ただエッチが好きでやる人、本業を持ちながら小遣い稼ぎでやる人、


芸能人のおちこぼれで流れてきた人。。。






みんな恥ずかしくもなく自分の作品、エッチの頻度、オナニー経験などを堂々と語る

あの人たちにとってそれは仕事である。





当時の衝撃はいまだに鮮明に覚えている。


たった20万前後のギャラで、


女の子ってここまで、自分の大事なものを全部捨てられるんだ。


どんな人生を歩んできたか、どんな家庭で育ったか不思議でしょうがない。





人間の順応性って怖いものだ


何回か通ってるうちに、だんだんとその環境に慣れてきた。



狭いアダルトの世界では、数えきれないほどの問屋がある。


量販店にとってアダルトはただ全売上の1%に満たない程度。


どの問屋から取っても変わりがない。





その中から勝とうと思えば


決め手はその問屋の安定性、価格以外。人間関係も一つ大事なことである。




そして、私は女性、数多くの問屋の中で珍しく女性の営業である。しかも外国人


営業能力が疑われる一方、興味を示してくれたお客さんもたくさんいる。


それを利用して、なるべく仕事以外の話題を広げて、友達になるのは



会社の方針だ。





昼間は営業、きちんとお店側の便利を考えて動かなければならない。

夜になると接待。居酒屋、銀座のクラブで、お酒と女で満足させれば、


得意先は自然にうちの会社を覚えてくれる。





例え月に200万の売上しかなくても、量販店にとっては目にも入らない数字なのに、


うちらみたいな会社にとって、馬鹿にならないのだ。





こうしているうちに、この商売に段々と慣れてきて、違和感も薄くなった。


私が売ってるのはavではなく、商品である。


ほかの販売と変わりがない。


盗んだものではないし、だれでも見るものだから、


堂々と売ればいい





女優さんだって、働いた分だけ給料をもらって、軽蔑しちゃいけない。


泥棒より物乞いより立派だ








売上のアップにつれて、失恋から失った自信は少しずつ回復してきた。


その後ろに常に支えてくれる社長と部長がいた。


失敗しても信用してくれる、


危ない取引先から守ってくれる。


なんでも熱心に教えてくれる。







一回、飲みの席で「なんでうちに入ろうと思ったの」と社長に聞かれて、素直にその理由を言ったら。

それ以来、二人はいつも仕事終わった後、喜ばせようといろんな所に連れててくれた。


「いつか忘れるよ、時間の問題だ」と


些細な言葉でも、当時の私に莫大な勇気を与えてくれた。


ほんとうに素晴らしい人間性を持ってる二人で、


私は生まれて初めて、給料のためより、その二人のために頑張ろうと思った。





時間が過ぎるのにつれて、失恋のつらさは減ったが


会いたいという気持ちは変わらない。


もう一度会って、消えた理由を教えてほしい!


せめて、こんな生き生きとした自分を見せたい。


私はもう昔みたいに遊びしか知らない女じゃない、私だって頑張ってる。





3、4カ月経ったある日、


ネットであの人の噂をきいた。


違う女の子と結婚をした、相手は彼の仕事のパートナー。



思ったほどショックじゃなかった。


やはりそういうことね。


私はただの暇つぶしだったのだ。






それを聞いた後、私は営業以外、休みの日にも出勤することにした。

土日を利用して、女優さん達のイベントに立ち会ったり、


忙しければ忙しいほど、私にとって心の休みになる。


そのなか


すごく印象に残ったイベントがあった。


女優さん二人の共同イベントだった。


中の一人は新人、すごくかわいい妹系の女の子。


ステージの上に立って、何をすればいいかわからなくて、


隣の妖艶な先輩に完敗だった。


私はステージの下からずっと彼女を見ていた。


あの自信のなさは昔の自分とどっかでかぶった。





お客さんはみんな先輩とツーショットを取りたがって、彼女はひとりぼっちでさびしく周りを見たときに、


私と目があって、苦笑いをした。


私は笑顔で彼女に返した。


心の中で頑張れ、もっとお客さんと会話して、好きになってもらってと励ました。






かわいそうっていうか、これから女優という仕事を続くかどうかわからないけど、

Avに出るのも、今日のイベントに来ているのも彼女自身の選択だ


せめて今日だけでも、思いのこさないように楽しんでもらいたかった。


先輩だけじゃなくて、彼女のイベントでもあるから。


彼女は負けていない!





いつの間にか、私はこの仕事を好きになった。


女優さん達の素顔を見れて、アキバのお宅パワーを身近で感じて、


さまざまなお客さんに出会って、夜の世界を知って、


いろんな人間像が見れて


そして、頑張ったら、チャント手答えを感じる仕事だ!


私だって会社の役に立てる



最初の理由から、仕事の魅力が変わった。







そして4年もたった今ごろ、会社はすでに成長して、業界でそこそこ有名になった。

アダルトだけじゃなくて、
映画、cd、お笑い、グラビアアイドル達の作品などメインになって、事務所も広い所に移して、社員は増える一方だ。

私も営業から中に入って、やさしい旦那と結婚して赤ちゃんも産んだ。


気が付いたら、もうあの人のことなんか考える暇はなかった。





ただ、いつか偶然に出会ったら、


「あの時あなたに振られてよかった」と笑いながら彼に言いたい。

评论

DEATH NOTEに載せた俺!!!----死神は日本に居ていた!                  
               By  可能性

  



  前述


何人かの作品をおおざっぱに拝見したところ、みんなの内容は健康向上でプラス的なことばっかりだ。普通に考えると


やっぱりプラス的な作文じゃないと受賞とか無理だろうけど、ブラス的なことだけ存在するのが現実ではないので、

だめもとで書かせて頂く。全部俺個人の本当の話だから他人にとって面白くないはずだけど読んでくれるなら、感謝。




  


  本編


まず、念のためDEATH NOTEとは人を死なせる力のある死神のノート。


これからは俺の何回かそのDEATHNOTEに記載されたかと自分が思ったイキサツを述べて行く。




1回目:




日本に来た翌年のできこと。まだ大人になってない自分だった。


日本に来たのが4月で、翌年の4月に大学入学した。日本での大学生活始まった2,3ヵ月後、俺は自分を失い始めた。


あの時、まだアルバイトもしてなく、友達も少なくて彼女ほしくて出会いもなくて、自身自由さえなかった。。。 



こういう生活はだんだんはっきりしてきた~~ 簡単に説明すると、アルバイトしてないから、親からのお小遣いが足りなかった、


親と一緒に住んでるから自由もなかった。中国国内に居た頃、まったくお金に不自由はなかった俺が、こんなお金ない生活は


我慢できなくなってきた。


親に「金もうない、もっとくれよ」って言い出すたび、叱られてほぼ毎回大喧嘩で終わった。更に、金ないから彼女も作れず、


遊びもできず、大学に入ったばっかりのせいか、人生の目標も立てず、そして俺は完全に生きてる意味はなくなってきた、


目が見えなくなってきた…


で、悪化するのも早いペースだった。あれから、だんだんだんだん、死のうかな、死んだ方がいいかな。。。などなどいろいろ



考え始めた。。。深夜になっても寝れない僕は街に出かけることが好きになった。。。




死に方まで考え始めたある日、太陽がまぶしい昼過ぎた時間帯に、俺は起きた。


マンションの真下にあるゲームセンターは最近の俺専用の時間潰しセンターにもなってた。俺は、最近と同じように頭に



死のことでいっぱいな状態でそこを足運ぼうとした。


マンションのエレベータを降りて、裏出口から出たら人通りの少ない細長い道がある。ゲームセンターはその道の20M先に



あってちょっとだけ歩いたら着くけど、2,3歩歩いた時、俺の首を絞められたような感じがあった。なぜなら、その時に俺の目に


した光景は一生忘れないシーンになったから。そのシーンとは、真っ白な一匹のハトが急に空から落ちて地面に着いた時に


ドンっと声も聞こえた。勿論、ハトはまだ完全に死んでいない、少しだけの動きはまた残ってて~~~




自分は小さい頃から、鶏とか鳥系の動物が一番苦手で怖い存在感だから、あの時に目にしたシーンのインパクトは

とんでもない大きかった。


数秒後、俺は逃げ出した、、、


死神は俺を招こうとしたのか?

死神は俺の考えてることに気づいたのか?

死神のノートに載せたか?!!!


・・・・・・・・・

  
 


  あとがき


あの後に、いろいろなことがあって自分が何とか乗り越えたけど、3,4年後にもう一回載せたかっと思ったこともあって



ぜんぜん違う理由で違う現象だったけど。



 ここまで読んでくれたの?もし暗い気分にさせたら申し訳ない。

 


 人間ってこういう色んな経験してるうちに成長してるんじゃなかろうか。。。
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