日本华人论坛 [推荐]論文の書き方



日本 - 論文の書き方
(我流、自己流でいくら書いても上達しない)

1 論文の設計図を引く

1-1 理論的考察の出発点

 ちょっとした疑問やこれまでのやり方についてのかすかな違和感が,しばしば理論的考察のきっかけとなる。「あれ?」「どうして?」という自分の素朴な感覚は大切にしなければならない。 素朴な違和感や疑問から出発して思索が深まると,次第に自分の考えが固まってくる。それは,自分の「理論」と呼んでよいものである。自分の理論を自分の心の中で育む段階から,自分の理論を他人にも共有してもらう段階に進もうとするとき,コミュニケーションという要素を意識する必要が出てくる。というのは,論文は,自分の理論を他人に伝えるという1つのコミュニケーションだからである。
 コミュニケーションである以上,コミュニケーションを始める(発信する)側,つまり論文の書き手には,自分の感じている「問題」を他の人にわかるように表現し,自分の考えや結論を他人が無理なく理解でき,納得できるように説明する努力が期待されている。論文は,他人が容易に理解できない抽象的で難解なことを書き連ねるものではなく,自分の考えを他人にわかりやすく伝達することを目指すものなのである。

 そのために,出発点でまず心に留めておくべきことは次の3つである。

 (a) 自分の取り組んでいる問題が何であるかを他人が容易に理解できるようにすること。

 (b) 自分が伝えたい結論が何であるかをはっきりさせること。

 (c) 自分の考えの道筋や結論が適切であることを示す証拠や理由を明確に示すこと。

 とりわけ,自分の取り組んでいる問題をはっきり特定することは大切である。ほとんどの問題は、単純な1つの問題ではなく,複合問題だということに気づく必要がある。論文の書き手は,どの問題をどのように取り上げるのかをまずはっきりさせなければならない。これを「的を絞る」と言う。それをしないと,コミュニケーションの受信側にいる他人は,発信側である書き手が何を問題にしようとしているのかを理解しかねることになる。その結果,受信側は,書き手の問題意識を共有できないし,論文を読み進む元気をなくしてしまう。そうなれば,どんなに素晴らしい内容をもっていても,論文というコミュニケーションは入口段階で挫折する。

 「的を絞る」という作業は,簡単そうに見えて案外むずかしい。実際に論文(短いエッセイでも同じだが)をまとめてみるとわかることだが,自分がどのような問題に取り組んでいたのかが正確にわかるのは,執筆がずいぶん進んでからのことであることが少なくない。これは,論文を書く作業がある時点で思索を打ち切って,その時点の考えをそのまま書き写すというよりも,次々と追加される情報に基づいて考えをつねに深めながら書き進む作業だからである。論文を書き上げて初めて,自分が本当に何を考えていたのかがはっきりすることさえある。そのため,的を絞る作業は,繰り返し必要になる。


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1-2 論文の設計図

 一生懸命に分厚い本を読んで勉強すれば誰でも論文が書けるかというと,そうではない。大変な読書家でも論文が書けない人がいる。というのは,読書は,第一次的には他の人からのコミュニケーション(思索の結果や調査の報告あるいは面白い話や体験)を受信するという活動であるのに対して,論文を書くというのは,自分の理論をコミュニケーションとして他人に向かって発信することだからである。つまり,読むという作業と書くという作業は一応別なのである。 論文を書くというと大変特殊な作業のように聞こえるかもしれないが,難しく考える必要はない。それは,ふつうに文章を書くのと基本的に変わるところはない。
 論文執筆と建築の仕事とはよく似ている。建物を建てる場合,何人用のどんな家をどこに建てるかを考えながら設計図を引くことから,作業が始まる。論文の場合も,どんな論文を書くかを構想することから作業が始まる。この手順を省くと,建物の建設は方針のない行き当たりばったりなものになり,材料が不足したり,屋台骨の定まらない欠陥住宅ができあがる。論文だと,書いても書いても完結せず,漂流するばかりの粗製乱造の文章が生み出される。手抜き工事の家に住まわされる住人はたいへん不幸だが,漂流論文につきあわされる読者も悲惨である。後に述べるように,粗製乱造の論文を見分けるコツがいくつかあるが,まずは書き手の側が漂流論文の製造防止に努めるべきであろう。
 では,論文のちゃんとした設計図を引くにはどうしたらよいのか。


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1-3 結論からの出発

 論文の設計図を引く作業は、逆算方式で、まず結論を決めることから始まる。結論を決め,そこから出発してその結論に読者を導くための手順を1つ1つ決めていくのである。 さて,論文の結論とは,発信側(執筆者)が他人に伝えたいと思う凝縮されたメッセージである。それは,論文の中で著者が「結局,言いたいことは,……です」とまとめる部分である(優れた論文は,「結局」というようなまとめがなくても言いたいことがわかる)。優れた論文のメッセージは,短く,はっきりしている。論文の残りの部分は,大半がこのメッセージを読者に納得してもらうための説明と論証である。
 メッセージは,論文の命である。メッセージが当たり前のことを繰り返すだけの陳腐なものであれば,その論文は読む必要がないだけでなく,迷惑でさえある。なぜなら,受信側からすれば,論文を読むには手間と暇がかかるのだから,繰り言を聞かされるのは時間の無駄だからである。だから,誠実な発信者は,メッセージを決めるときに,それがどれだけオリジナルであるか,どれほど「面白い」か,新しいか,有益か,を真剣に検討する。テレビで頻繁に流されている歯ブラシのコマーシャルは,あの小さな歯ブラシについてさえ,ブラシの形・材質・カットの形・毛の細さ・毛の末端処理・毛の植え方・柄の部分の形・湾曲具合などありとあらゆる面を強調して,「いままでになかった」「まったく新しい」ということを強調している。ユニークさを飽きることなく追求するその心がけは,メッセージ作成の際にもって鑑とすべきものであろう。
 メッセージを決める作業がうまくいくかどうかは,発信側がどれだけ自分を抑制できるかにかかっている。大切なことは多い。だから,あれも伝えたい,これも知って欲しいというのは自然な感情である。しかし,メッセージをたくさん並べて,これも大切だ,あれも大事だと言われても,受信側は戸惑うだけである。そういうやり方はたいていは逆効果で,たいした印象は残らず,「なんだかわからないけれど,難しい」話だという程度の受け取り方しかされない。そうなれば,コミュニケーションは失敗である。メッセージの厳選に成功したときに,メッセージはパンチ力をもつのである。
 けれども,伝えたいことがたくさんあること自体は悪いことではない。メッセージが多いというのは,その人の関心の広さと問題意識の鋭敏さを示すものだと言ってよいからである。優れた理論家は,多くのメッセージとメッセージの萌芽とをもっているだけでなく,それぞれのメッセージを適切な形で発信するためには時間が必要であることも認識している。メッセージは,だんだんと1つの論文,1つの書物として形をとっていくのである。急ぐことはない。
 優れた論考のメッセージは,短く,はっきりしていると述べたが,いきなりそのようなメッセージができるのではない。準備作業が必要である。まず,自分がどのようなメッセージを伝えたいのかを100字から200字程度で,主語・述語のあるちゃんとした文章の形で書いてみよう(もちろん,100字から200字という数字は目安であって,それほどこだわることはない。長いものは,あとで削って短くすればよい)。キーワードや箇条書きにする方法もあるが,きちんとした文で,「しかし」「だから」「ではあるが」などの表現も省略せずに書く方法を勧めたい。というのは,箇条書きにはある種の魔力があって,箇条書きを作った本人にさえ,空白部分について自分の論文はつじつまが合っているのだと錯覚させる恐れがあるからである。きちんと書かれた論文を箇条書きの形で要約することはできるが,その逆は必ずしもできるとは限らない。
 200字程度のメッセージというのは,小さな子供に向かって桃太郎の鬼退治の物語を簡単に話してやるというイメージでよい。そういうイメージで,自分の伝えたいメッセージをできるだけたくさん,思いつくままに書き留めておくべきである。書き留めたものは,一切捨てない方針がよい。重複していてもかまわない。そういうメッセージのメモは,その時には使えなくても,あとからいろいろな形で役立つものなのである。10年前の短いメモが大きな論文に化けることも,珍しくはない。とくに,コンピュータのファイルであれば,場所もとらないし,簡単に探し出すこともできるから,この種の作業をして,結果を保管するにはうってつけである。
 メッセージがすぐに書けるとは限らない。書けない場合のほうが,ふつうである。他人に耳を傾けさせ,もっと詳しい話を聞きたくさせるようなメッセージができているのであれば,論文作成作業の6割から7割は済んでいると言ってよいくらいである。すでに問題について繰り返し的を絞ることが大切だということは述べたが,メッセージについても繰り返し改訂して内容を洗練することが必要である。
 200字メッセージを書き散らすときに,知っておくと有益なことがある。それは,論文にはいくつかのタイプがあるということである。自分のメッセージがどのタイプの論文に近いかを考えることによって,メッセージ自体(つまり,自分が何を伝えたいのか)を冷静に考え直すきっかけにすることができる。



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1-4 論文タイプの選択

 論文の伝えようとするメッセージの目的が何であるかということを基準にして,論文のタイプを分類することができる。ここでは,5つの基本的なタイプを取り上げる。 (1) 問題発見型
 このタイプの論文は,「現在,多くの人は気づいてはいないが,次のような重大な問題がある。われわれは,それに気づくべきだ」というメッセージを伝えようとする。たとえば,「いじめは,子供の間であるだけでなく,法律専門家の間にもある。その実態は次の通りである」,あるいは「古代社会でもいじめはあった」というようなメッセージがそれに当たる。
 問題発見型論文は,問題がこれまで広く知られていなかったこと,その問題が重大であることに焦点を合わせている。もちろん,問題が重大であればあるほど,それがなぜ起こったのか,どうすれば解決できるかというような関心は,誰でももつだろう。しかし,問題発見型論文は,そこで自己抑制をして,あくまでも問題を描き出し,その重大性を伝えることに徹しようとするのである。
 したがって,問題発見型論文は,人々の強い関心を惹くような形で問題の重大性を描き出す一方,問題の所在とその特徴とをできるだけ詳細に,しかも客観的に記述することになる。同時に,記述を支える資料の豊富さ・新しさ・信用度に細心の注意を払うことが必要になる。
 (2) 原因分析型
 原因分析型論文は,「この問題は,社会的に重要であるが,それはどのようなことが原因となって発生したのか」,あるいは「これまで,この問題の原因は,次のように言われてきたが,それは誤りである。本当の原因は,これである」というメッセージを主張しようとするものである。
 このタイプの論文の場合,重要な問題があること自体は知られているが,その原因は十分明らかになっていないことを前提にして,原因を検討することを目的としている。たとえば,「近年,学校で起こっているいじめがクラスのほとんどの生徒を巻き込んだ形で行われるようになったのはなぜか。その原因は,4つあって,……」というような考察が展開される。原因分析型論文では,問題の概要を描く部分も必要であるが,その部分は背景なのであり,本当の原因はどれなのかに焦点が置かれ,原因であることを証明するための資料や根拠の提出と検討とが中心的な作業となる。
 (3) 歴史考察型
 ある問題がどのようにして発生し,その後どのように変化してきているか,あるいは問題をめぐる議論がどのように動いてきているのか,現在の議論の状況はどのようになっているのかを,メッセージとして伝えようとするタイプの論文である。「いじめの歴史は学校の歴史と同じくらい長い。しかし,当初,いじめは子供の成長にとってそれほど重大なことではないと考えられてきたが,最近では,あってはならないことだと言われている」,あるいは「いじめについて学校の責任が議論されるようになった。裁判所は学校の責任についてますますきびしい責任を認めるようになりつつある」というようなメッセージを含む論文がこのタイプに属する。
 歴史考察型は,出来事を丹念にあとづけたり,議論の動向や現状を整理するという作業を中心とするので,時間も労力も必要である。その一方,情報量(たとえば,論文の枚数)をふやすことは比較的容易である。なぜなら,考察の対象とする時間を長くとれば,「大論文」を仕上げることはそれほど困難ではないからである。だから,誰でも考えつくような視点から情報を安易に並べるだけでは許されない。ユニークさを出すには,斬新な切り口,つまり,今までよく見えなかったことがはっきりと見えてくるように情報を整理することが求められる。
 (4) 将来予測型
 現状を前提とすると,将来どのような問題の発生が予想されると思われるかについてのメッセージを伝える論文である。「直接いじめを行った生徒だけを処分するという現在のやり方を続けても,いじめ行為を容認する教室の雰囲気は改善されないであろう。かえって,みんなで助け合って社会をよくしようとするモラルの成長が阻害されるであろう」ということを主張する論文がこのタイプに当たる。
 将来は容易に予測できない。けれども,現在の問題に対する対策を考える場合には,どうしても将来の変化を予想する必要がある。単なる当て推量の域を越えるようなメッセージを作るには,多くの資料と綿密な考察とが求められるから,このタイプの論文を書くには相当な決心が必要である。
 (5) 解決策提案型
 「いじめを根絶することはできないとしても,少なくともいじめを減らすためには,次のような対策をとるべきである」「いじめに関する学校の責任について,判例と学説は次のように主張しているが,自分はこう考えるべきだと思う」というようなメッセージを含むタイプの論文である。「こうすべきだ」と主張する以上,このタイプの論文では執筆者は自分の特徴やユニークさを比較的出しやすい。しかも,問題を前提にしているのだから,解決策を出したいし,出すべきだという気持ちが強く働くことも事実である。
 しかし,解決策提案型論文の場合,有効な対策をつねに提示できるとは限らない。そのため,最初は大上段に振りかざした論文が最後に「この問題を解決するためにわれわれは日々一層努力を重ねなければならない」という決意表明のメッセージで終わってしまうことがある。それは,このタイプの論文としては,明らかな失敗作である。なぜなら,期待されているのは,これまで実施されていない,しかも具体的な解決策を提言することだったはずだからである。
 以上5つのタイプの論文があることを述べた。しかし,実際の論文では,ただ1つのタイプのメッセージだけに作業が限定されることは稀である。たとえば,論文に「いじめは社会的に見て重要な問題であり,その原因として,従来は5つくらいの要因が主張されてきた。ここ20年の間にいじめの形態が多様化し,いじめの件数が急増しているのに対して,専門家の議論は依然としてこれまでの5つの要因だけを考慮してきた。しかし,これまでの検討は不十分であり,いじめの原因としてさらに3つのことを視野に入れる必要がある。この3つの原因を考慮せずに,事態を放置すれば学校におけるいじめは悪化の一途をたどるであろう。それを避けるには,8つの要因を考慮して,次のような対策を採用すべきである。それによって,状態は改善されると思われる」というようなメッセージを入れようとすれば,5つの論文のタイプそれぞれに必要な作業すべてを行わなければならない。
 事実,優れた論文は,5つの作業をバランスよく取り入れている。しかし,いきなりすべての作業を同じ程度の質でこなすことは難しい。さしあたりは,どのタイプの論文にするかを決めた上で,他の論文の要素をつけ加えるやり方がよいであろう。なぜなら,論文のタイプを決めることによって,どのような内容のメッセージを発信すべきかが決まるからである。それによって話の筋の組立て,資料の分析,論証,具体例の選択,各部分(章や節)をどれくらい詳しく書くべきかを決めるための基本的な指針が与えられるだけでなく,論文作成のために他人の論文や関係資料を読む場合に,どの部分に力を入れて読むべきかも決まってくるからである。
 習作を書くとなれば,5つのタイプの中で,第三の歴史考察型論文は,比較的取り組みやすいかもしれない。というのは,資料をきちんと集めて,考察を進めれば,着実に成果をまとめることができるし,分量的にもかなりのものを書くことができるからである。たとえば,学説の歴史的動きを追った学説史,ある問題に対する裁判所の判断の変化をあとづける判例研究,最近の議論を整理する研究などは,投入した時間と努力に対する成果がほぼ確実に期待できる。ただし,このタイプの論文は往々にして凡庸で陳腐なものになりやすいので,その点要注意である。


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1-5 シナリオの検討

 論文のメッセージを決める作業では,100字から200字程度でメッセージを書いてみた。次のステップは,メッセージ(つまり結論)から出発して論文のシナリオを書き上げることである。シナリオとは,メッセージにたどりつくまでの話の段取り(筋書き)である。その論文で読者に伝えたいことがメッセージなのだから,それが決まれば,次は,読者をどのようにしてそのメッセージまで引っぱっていくかを構想すればよい。 日本の国民的ドラマと言われる忠臣蔵は,何度も映画化され,またテレビドラマとなった。同じ題材を扱ったものだが,それぞれのシナリオはさまざまである。吉良上野之介を討ち取る場面から始まるものもあれば,殿中松の廊下の刃傷から始まるものもある。切腹シーンから話が始まるものもある。シナリオとは,まずどのように話を始め,どのように話を発展させ,どのように最後の伝えたいメッセージにもっていくのかを考えることである。昔流の言い方をすれば,それは起承転結に配慮するということにほかならない。
 シナリオの作成は,論文作成の中でもとくに楽しみの大きなところである。どうすれば,読者が知的興奮を味わってくれるか,自分のメッセージはどこで表に出せば一番効果的だろうか。そういうことを考え,工夫する楽しみは,建築専門家の深い喜びと通じるものがあるだろう。もちろん,論文は,後で述べるようにメッセージを伝えるシナリオの各部分について逐一論証をしなければならないから,論証という負担を度外視してシナリオを作るわけにはいかない。けれども,論文という知的創造(想像)活動を楽しむのはこのときである。
 そういう観点に立って,今度は1,000字程度でシナリオを書いてみよう。シナリオができると,論文のだいたいの構造図を書く(章と節を作る)という次の作業に進むことができる。
1-6 章と節の作り方

 シナリオは,論文の話の筋道を示しているから,それをもとにして論文の構造をほぼ決めることができる。その方法は,まずシナリオを句点ごとに切って,それぞれ1つの文にしてみることである。 シナリオをこのように単文の形にした上で,それぞれの単文を読者に納得してもらうためには何をしなければならないかを書き込んでみよう。なぜ単文の形にするかというと,それぞれの単文と単文の関係について,また,それぞれの単文について,読者がさらにどのようなことを聞きたいと思うかを予想する作業がしやすくなるからである。それぞれの単文について,予想される質問を列挙する作業をしてみるとよい。
 以上の作業をしてみると,このシナリオをちゃんとした論文に仕上げるには,どの程度の調査と検討が必要かがだいたいはっきりしてくる。これによって,それぞれの単文を読者に納得してもらうために書き手がしなければならない作業項目と,作業内容が明確になる。
 この段階で,この論文を完成するために必要な作業量がある程度推測できるようになる。そこで,最初のシナリオでよいかどうかを再検討することになる。あまりに,作業量が多くて一定の期間内に論文を仕上げる見込みが立たないときには,シナリオ自体,さらにはシナリオのもとになるメッセージ自体を考え直すのが賢明である。
 だいたい作業量が適切であるということになったら,章立て(章の構成)を行う。章立ては,シナリオを拡大するのではなく,逆に凝縮する作業であると考えればよい。
シナリオに含まれた単文をどの章に割り振るかを計算し,各章の見出しにはシナリオ中のキーワードを取り入れる方向で考えればよい。全体として,論文タイトルと章の見出しから,シナリオの全体の筋がおおよそわかるように工夫するのである。
 各章の内部にどのような節を設けるかについても,同様の手順でよい。章立て・節立てともにいったん決めたら一切変更してはならないと考えるべきでない。論文作成作業の進行に応じて,柔軟に章を入れ替えたり,節を入れ替えたりすべきである。 作業がこの段階まで進むと,論文の設計図を引く作業は,ほぼ完了する。



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2 資料の整理と批判的分析 論文の設計図ができあがってから,論文の書き手が文献や資料をようやく集め始めるというようなことはない。論文が伝えようとするメッセージに関係する文献や資料を読みながら考え,考えながらさらに情報を集めるのが常道である。実際,論文の設計図がだいたいできあがるころには,かなりの文献が集まり,相当な文献リストができあがっているのがふつうである。テーマに直接関係するような文献もある程度は見ているであろう。
 以下においては,まず論文作成に必要な情報源をまとめた文献リストの活用法を述べ,戦略的読書と戦術的読書を解説し,情報の分析と批判のためのいくつかのノウハウについて述べることにしよう。
2-1 文献リスト

 論文はメッセージを伝えるコミュニケーションである。発信されるメッセージは,これまでのメッセージとは違う,何らかの意味で「新しい」ものであることを期待される。では,自分の発信しようとしているメッセージが「新しい」かどうかはどうすればわかるのだろうか。それは,比べてみればわかる。何と比べるのか。これまで発信され,蓄積されてきた情報と比べるのである。論文が発信しようとしている情報がこれまでの情報と違っていれば,それは何らかの意味で新しいと言えるはずである。つまり,これまでの情報,これまでの常識,これまでの通説をはっきりと特定できれば,作成中の論文の含むメッセージが新しいかどうかはある程度判断できるのである。 これまでの情報の到達点を確かめるにはどうすればよいか。以下に述べる文献リストを使った作業は,そのための基本的な手法である。文献情報をデータベース以外から手に入れて文献リストを作るときには,著者,文献の正確なタイトル,出典,公表年が必ず必要である。なぜなら,その文献データの適切さが後で問題にされたときに,その文献を探し出し,該当個所を特定できないといけないからである。文献情報は,自分のためであると同時に,他人のためのものでもある(これは,論文につける注の問題でもある。
2-2 文献検討の簡便な方法
 
 優れた教科書は,その分野におけるそれまでの理論動向,意見の分布,専門家の多数意見,残された問題点をまとめている。だから,最新の優れた教科書を見れば,これまでの議論の概要を知ることができる。自分の論文の発信しようとしているメッセージと同じものが教科書にすでにそのまま書かれているならば,それはもう「新しく」はない。そういうメッセージをもう一度発信する必要はない。すると,論文作成作業との関係で教科書を参照する目的は,論文のメッセージが教科書のメッセージとそっくり「同じではない」ことを確認するところにある。 2-3 文献リストの本格的な検討
 
 簡単なレポート程度のものなら簡便な方法ですむこともあるが,それだけでは十分でないことも多い。本格的にこれまで蓄積された情報や研究成果のレベルを確認するためには,文献リストの検討がどうしても必要である。文献リストの作成作業は,論文の設計図を引く作業と並行的に行われ,コンピュータや伝統的な文献検索方法を使って少しずつ充実してきているはずである。そのリストは,少しでも関係がありそうなすべての文献や資料を集める方針で作成されるから,リストに収録された文献や資料の数は,相当な数(数百の単位)に上っている可能性がある。文献リストとしては,それでかまわない。
 ただし,リストアップされてくるすべての文献や資料に詳しく目を通してから論文を書こうなどと考えてはいけない(その意気込みは大切だが)。社会的に重要な問題は,多くの人が関心をもつから,当然さまざまな文献が次々と発表されてくる。そのすべてを調べるというのは,もともと不可能である。他方,文献がほとんど追加されないような問題は,すでに問題解決がされたか,あまりに難問過ぎて誰も手をつけられないか,そうでなければ,誰も関心をもたない問題である。大量の文献がリストアップされてくる場合には,その中から作成中の論文に関係するものとそうでないものとを選り分け,さらにぜひとも読まなければならないもの,ある程度詳しく検討すべきもの,一部を見ておけばよいものを判別することが必要になる。 章立てをするくらいのところまで論文の設計図を引く作業が進んでくると,この文献の判別作業を本格的にすることができるようになる。というのは,その段階では,論文作成に必要な文献や資料の範囲をある程度特定できるだけでなく,文献調査を系統的・網羅的に進めることができるからである。たとえば,シナリオの文章を単文に分解して,そこから必要と思われる作業項目が明らかとなる。そうすると、それに関係する文献をリストの中から探し出すことはそれほど難しくはない。リストの中に該当する文献がなければ,さらに文献調査を進めなければならないことが明らかになっているのである。
 関係すると思われる文献の選別ができたら(たとえば,100位の文献が選別されたとする),次は,本当にその文献が必要な文献であるのかどうかを確かめなければならない。そのために,文献全部を詳しく読むという方法もあるが,人生は限られているから,もう少し効率的な方法をとるほうがよい。それは,本書で戦略的読書と呼ぶ方法である。戦略的読書は,ある論文を作成するという明確な戦略目的を達成するための読書法である。
2-4 戦略的読書法と戦略的読書メモの作成

 戦略的読書の目的は,文献や資料を読んで楽しんだり,思策を深めることではない。その目的は,あくまでも現在作成中の論文に使えるものであるかどうかを判断するところにある。すでに論文にはいくつかのタイプがあることを説明したが,戦略的読書は,もっぱら文献や資料のタイプとメッセージだけを読み取ることを目的としている。しかも,文献や資料の全部ではなく,一部だけを読んで,その読み取り作業をしようというのである。 そのようなことができるだろうか。多くの場合,それは可能である。なぜなら,設計図をもとにしてきちんと作成された文献には,文献のタイプとメッセージをまとめて伝える部分が必ず含まれているからである。それは,ふつう文献の冒頭の数頁と末尾の数頁である(ふつうは「はじめに」「結論」のような見出しがついているが,それがないこともある)。文献が30頁程度の雑誌論文であろうと,数百頁の書物であろうと,このことは変わらない。
 どうして,そのようなことが言えるのだろうか。論文が他人に対するコミュニケーションの発信であることを理解している人ならば,冒頭部分で,自分がどのような問題に取り組んでいるのかだけでなく,メッセージつまり言いたいこともはっきりさせているはずである。実際,日本でも外国でも,問題の提示と論文や書物の狙いを冒頭部分に書くのが確立した慣行になっている(このことは,論文を書く場合に意識しておくべきである)。メッセージも,多くの場合,凝縮された形で冒頭部分に入っている。末尾には,全体のまとめが入っていることが多い。
 そうであるとすれば,冒頭と末尾あわせて数頁,多くても10頁を見れば,その文献のねらい(論文のタイプ)と結論(メッセージ)はわかるはずである(それで不十分なら,章と節の見出しだけを拾ってみればよい)。雑誌論文であれ,書物であれ,10頁も読めばかなりのことがわかる。その部分を調べて,もし論文が対象とする問題や著者のメッセージがはっきりしないときは,論文自体に問題があると考えたほうがよい。筆者自身の経験からしても,冒頭の部分があいまいな文献を一生懸命に読んで,報われたことはきわめて稀である。大量の情報を処理する必要がある論文作成作業を考えれば,他人に理解してもらおうという配慮のないコミュニケーションにつきあうのは,時間の浪費に近い。このように考えて,選別後の文献すべての冒頭部分と末尾の部分だけを手早く見てみることにすれば,たとえ文献が100あったとしても読むべき分量は,最大1,000頁である。優れた文献は,数頁で必要な情報を伝えているものだから,実際には,作業量はそれよりもかなり少ない。さらに,細かい議論を追うのではなく,どのタイプの論文でどのようなメッセージが含まれているのかだけを拾っていく作業であるから,1つの文献を見るのにそれほど時間を取られるわけではない。
 戦略的読書について重要なことは,調べた文献について,ごく短いメモを必ず取ることである。そのメモには,40字から多くて60字,つまりパソコンの普通の画面だと1から2行でその文献のタイプとメッセージを記録する。
 第一に,100くらいの文献や資料について戦略的読書を実行すると,全体的な議論状況がはっきりしてくる。どんな議論がされているのか,ある論点について賛成説が多いのか,反対説が多いのかがだいたいわかる。賛成説と反対説とにそれぞれ印をつけておけば,あとから議論を整理するときに便利である。
 第二に,議論の時間的変化をある程度追うことができる。同じ問題領域でも1970年代に関心を集めた論点が,1980年代にも同じように議論の焦点になっているとは限らない。文献や資料の公表年に注目すれば,議論の動き(たとえば,学説の展開)を跡付けることができるだけでなく,ある時代風潮の変化など大きな動きも視野に収めることができる。疑い深い読者から尋ねられたときに複数の文献や資料を証拠として示すことも難しくはない。
 第三に,オピニオンリーダーが誰かを知ることができる。ある特定のテーマで頻繁に論文を発表している人は,その問題の専門家であったり,オピニオンリーダーである可能性が高い。オピニオンリーダーを数人特定できれば,その人たちの書いたものすべてをリストアップして,その中から重要な文献を選び出すこともできる。代表的な主張を選んで,議論状況を描くことも楽になる。
 第四に,何が中心的に取り上げられ,何が取り上げられていないかを確認することができる。自分の論文のメッセージが新しいかどうかを確認するという作業からすれば,この点の確認は大切である。
 戦略的読書を完了すると,その問題についての「土地カン」は相当なものになっているはずである。その成果を論文作成についてどのくらい直接利用できるかは,論文のタイプによって異なるが,はっきりしているのは,この土地カンの育成は,省くことのできないものだということである。
 若干話題がずれるが,日常的にいろいろな文献や資料を読むとき,やや面倒ではあるが,この種の戦略的読書メモをコンピュータのファイルとして残しておくと便利である。それは,大きな動きにつねに敏感でいるための1つの方法である。


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2-5 文献の重要度・鮮度・信用度の判定

 魚の鮮度は,眼を見ればわかると言われる。文献の重要度・鮮度・信用度は,本文についている注を見ればかなりの程度判断できる。それほど,論文や書物についている注は,大きな意味をもっている。注は,ただ漫然と本文につけられているのではなく,注をつけるための一定の理論を前提にしていると考えるべきである。以下の解説は,いろいろな文献や資料の注を利用するためのノウハウだけでなく,自分の論文に注をつけるノウハウをも提供することを目的としている。 (1) 文献の重要度の判定
 文献の重要度の判定から説明しよう。まず思いつく方法は,専門家に教えてもらう方法である。文献リストができあがった段階,あるいは戦略的読書メモができあがった段階で,専門家にどれが重要であるかを尋ねるのである。専門家に教えを乞うのに,文献リストも用意せず,手ぶらで出かけるというのは,相当に図々しいと言わなければならない。戦略的読書メモつきの文献リストを持参してアドバイスを求めるというのなら,それなりの礼は尽くしたことになるだろう。
 専門家というのは,その領域について格別の経験と知識をもった人のことだから,その領域についてどのような議論が行われ,どの文献が重要であり,誰の意見に耳を傾けなければならないかを当然知っている。別の言い方をすれば,文献リストの中でまずきちんと読まなければならないものを即座に数点指摘できるなら,その人は本当の専門家である。そういう専門家から,必読文献だけでなく,賛成説が複数あるときに,どれが一番洗練されているかをアドバイスしてもらえたり,オピニオンリーダー(昔流に言えば,碩学)の発想方法や長所短所についてコメントがもらえるならば,なおさらありがたい。
 注も専門家に劣らないほど文献の重要度を判別するための手がかりを提供する。その基本的やり方は,文献の本文は読まずに,注だけをずっと見ていくのである。一定数の文献の注を見ると,当然のことながら,よく出てくる文献があることに気がつくはずである。引用の頻度の高いものが基本的文献であると見てそれほど間違いはない。この方法は,完全とは言えないが,まず読むべきものを決める有益な手がかりを与える。
 (2) 文献の鮮度を測る方法
 次は,文献の鮮度を測る方法である。文献が公表された年とその文献の注に引用されている一番新しい文献の公表年とを比べてみればよい。文献の公表年が1998年で,最新の引用文献が1988年であるとしよう。当然の疑問は,その間の10年に新しい文献や資料は何も追加されなかったのかである。何もないとすれば,その分野の問題はそれなりに処理され,話は終わっている可能性が高い。そうでなければ,あまりに難問なのでお手上げ状態なのであろう。もし,文献があるのに引用されていなければ,論文の著者は最新の情報をもたずに書いていることになる(引用する必要がないのであれば,そういう断り書きがあるはずである)。そうだとすれば,その論文は,公表年は新しいが,内容は新しくないと判断してよい。引用文献の公表年をきちんと書く著者は,情報の鮮度に十分注意している人である。
 (3) 文献の信用度を測る方法
 あるテーマについて同じ著者による文献が複数ある場合に,公表年順に並べ,注に引用されている文献を比べると,それぞれの論文にどれだけ新しい文献が追加されているかがわかる。文献が追加されていなければ,よく似た話が繰り返されているだけの可能性が高いのである(人間は,同じ論点について次から次へと新しいメッセージを発信できるわけではない)。
 論文というコミュニケーションは,何か言うたびに,「ほんとにそうなの?」と念を押すような人を受信者にしていると想定しておけばよい。だから,注は,それに答えて「ほんとにそうなんだよ」と請け合う発信側のコミュニケーションなのである。そういう観点から,注を眺めてみると,注がいろいろなことをしようとしていることに気がつくはずである。たとえば,注は,「そんなことどこに書いてあるの?」「誰が言ったの?」「それ昔の話じゃないの?」「そんな統計データがあるの」「どこに証拠があるの?」というような意地悪な問に答えようとしている。著者が疑問にどれだけきちんと答えようとしているかは,注に現れるから(もちろん本文にも現れるが,注にはそれが凝縮した形で現れる),そこから文献の信用度が判定できるのである。
 たとえば,「そんなことどこに書いてあるの?」という疑問に対して,ある書物を引用してあるとしよう。その場合,どれだけ詳しく引用部分が特定されているか(書名だけか,章までか,節までか,それとも該当頁数までか)は信用度を測る1つの手がかりである。原則として詳しいほど信頼度が高い。頁数まで示してあれば,本当に書いてあるのかどうかの確認は容易である。ほとんどの注が書名だけしか表示していない場合には,「著者は,本当に引用文献を読んだのか」という疑念さえ生じさせかねない。
 自分が作成した文献リストの検討から,重要度の高い文献がある程度特定できている場合には,それらの文献がどの程度自分の読んでいる資料の参考文献の注に引用されているかを確かめてみればよい。基本的な文献があって,比較的参照が容易であるのに,参照されていないなら,その文献の著者の文献調査が不完全ではないのかという疑問が出てくる。
 一定の文献が頻繁に注で引用されている場合には,それがその論文のいわゆる「種本」である可能性がある。つまり,その論文は,種本に若干手を加えたものかもしれないのである。そこで,その種本を調べてみれば,レトルト・パックのスープをそのままスープ皿に入れただけのような論文であるかどうかが判断できる。もちろん,先人の仕事から私たちは多くを学んでいるから,種本があること自体は問題ではない。問題は,種本と比べてその論文のどこが「新しいか」である。これも信用度に影響する。
 論文の信用度は,どれだけ多くの文献を調査したのかと関係している。注に多くの文献や資料が引用されているならば,一応信用できそうである(ただし,現在では,文献リストは比較的簡単に用意することができるから,必ずしも確実な基準ではない)。しかし,本文の量に比較して,注の分量が多すぎるときには,適切な文献が引用されているかどうかを確認してみるのが賢明である。重要度の高い文献だけでなく,適切なものが選ばれていれば(たとえば,自分の学派の意見だけを引用するようなことをしていなければ),論文自体が信用できそうである。
 ざっと見ただけで,注はさまざまな情報を提供していることがわかるであろう。注からどのような情報を読み取ることができるかという発想で自分なりの「注の理論」をもち,さらにそれを育てていくことは大切である。



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2-6 戦術的読書メモの作成

 論文作成作業が進んで,論文の章と節の構成,文献リスト,戦略的読書メモ,さらに文献の重要度判断までできたとしよう。すでに述べたように,論文作成は,設計図を引く作業と情報処理(たとえば読書)作業とが並行的に進んでいる。読書についても,戦略的読書をする一方で,重要だと思われる文献の精読もされているはずである。 しかし,この段階になると,本格的な戦術的読書,つまり論文に使うことのできる資料や情報はないか,というはっきりとした目的をもった精読をすることができる。つまり,欲しいものを探すという目で文献や資料を調べるのである。必要な情報を発見すれば,それを利用することを前提にしたメモを作る。この点で戦略的読書メモと戦術的読書メモは異なっている。章と節の作り方についての個所で説明したように,章と節ができればそこでどのような情報が必要であり,どのような記述をしなければならないかがほぼ決まる。戦術的読書は,それを念頭に置きながら文献から必要な情報を意識的に選び出し,戦術的読書メモは,それを記録する。たとえば,次の読書メモを見ていただきたい。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 グリーン(安原義仁・成定薫訳)『イギリスの大学』(法政大学出版局, 1994)Vivian H.H.Green, The Universities (Pelican Books, 1969)第4章
 19世紀におけるオックスフォードおよびケンブリッジ両大学の改革 56
 -改革の背景 56
 産業および商業の発達に伴う社会の全面的な改革の圧力,とくに高度の教育を受けた実業人に対する需要と効率的な統治機構の要請(官僚機構の拡張,帝国領土の拡大,学校数の激増)。大学は,唯一の人材養成機関であった。
-改革前のOxbridge 57
1.イギリス国教会の牧師養成機関である例
 Trinity College, Cambridge(1831-40 413/1239, 1853-62 496/1388が聖職についている)。
 国教会に就職できないものは知的専門職,行政関係に職を求める(その数は,増加の一途をたどる)。
2.univ.はcollegeの連合体であり,collegeの長を中心とする少数の集団(Oxford/Hebdomadal Board, Cambridge/Caput)が運営していた。
 3.univ.は,入学登録料,学位取得料を課し,教授を任命するだけである。
 4.collegeが教育の中心であり,教授の講義は学位取得のカリキュラムとは無関係(collegeのスタッフは,tutorとfellowである)。
 5.collegeの教育は,水準が低く,それだけでは十分ではない。まともな教育を受けるには,coachのところに出向いて受験教育(学位のための)を受ける必要があった。
 6.collegeの教師集団は,「流行遅れで安逸をむさぼる聖職者クラブ」61であった。
 -改革への動き 63
 1.1837年頃からその動きが始まる。外部からの改革要請が見られる。
 2.19世紀はじめから古典学(Greats)と数学について優等学位(honours degree)試験が導入されはじめ,その試験の優等者の中からfellowが選出されるという傾向が現れる(しかし,教育の中心は,アリストテレスその他である)。
 3.非国教徒の大学入学を認めようという提案はまだ承認されない(大学,議会共)。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 これは,19世紀イギリスの法思想を論じる場合に,大学がどのような影響を及ぼしていたのかを描く必要があるという判断に基づいて作成された戦術的読書メモである(すでに説明したように,書物自体がデジタル化されてコンピュータで利用可能になっていれば,いちいちタイプしなくても,コンピュータのコピー機能を使って,ポイントになる文を自分のファイルにコピーするだけで,この作業ができる)。
 このメモにはいくつか特徴がある。まず,書物の著者,タイトルほか文献自体をそのまま論文で引用できるような形のメモにしてあることである。論文を書いている最中に,引用する本を探して書名その他を確認しようとすると,仕事が中断される。文章を書く作業は,相当な緊張感の持続が必要だから,この緊張感を乱すようなことはできるだけ避けたい。コンピュータのコピー機能を使うと,このメモから必要な部分を抜き出して論文の該当個所に貼り付けるだけで,論文中で文献を引用する作業ができるメリットがある。もちろん,作成済みの文献リストからコピーしてきてもよいのだが,このメモの場合,メモの作成者が「- 改革前のOxbridge 57」のように見出しをつけているので,ポイントがわかる上に,該当頁数が記録してあるので,文献リストによるよりも正確な引用ができるのである。
 第二の特徴は,戦術メモを見ると,メモの対象にした文献の全体の論調や印象を思い出して,確認できることである。論文作成の場合には,たくさんの文献や資料に当たるので,読んだことすべてを覚えておくことはできない。戦術的読書メモがあれば,全体の話の流れを確認できるので,文献を適切に使うことができる。それに加えて,論文作成中に「あの話はこの本のどこに書いてあったっけ?」と思ったときに,デジタル情報化された戦術的読書メモを検索すれば該当部分を特定することができる。
 第三の特徴は,戦術的読書メモを使うと,参考にした文献の文章に影響されずに執筆ができるという点である。戦術的読書の対象になるような文献は,優れた著者が書いており,説得力のある名文であることも少なくない。そうなれば,その文献を読みながら論文を書いていると,他人の文章に知らず知らずのうちに影響されてしまうことが起こる。言いまわし・話の進め方・用語など,他人の文章が自分の論文を占拠してしまうのである。それはできるだけ避けたい。戦術メモを使うと,もとの文章は直接見ないから,たとえば,「グリーンによると,19世紀の大学改革前のオックスフォードやケンブリッジには問題が少なくなかった。彼女は,問題点を6つほど指摘しているが,本稿との関係で注目されるのは,国教徒でなければ大学で学ぶことができなかったという点である。……」というような形で自分の文章の中に文献の議論を取り込むことができる。
 長期的観点からして意味があるのは,コンピュータ上のファイルとして作成された戦術的読書メモは,将来にわたって利用可能な知的資源となることである。コンピュータの検索機能を活用すれば,ある特定の表現を含むファイルをすべて探し出すことができるし,その表現がメモにされているファイルの特定の個所を調べることもできる。戦術的読書メモは,あるはっきりした目的のために作成されているから,別の機会にそのままの形で利用できるとは限らない。しかし,必要に応じて,文献を調べ直す有益な手がかりであることは間違いがない。たとえば,日本の大学改革に関する文章を書く場合にも,19世紀イギリスの法思想を論じる目的で作成したイギリスの19世紀の大学に関するメモが,一定程度利用できるのである。
 論文を作成するのに直接必要な情報を選び出すための方法は,コンピュータの使用に限られるわけではない。従来活用されてきたのは,書物につけられた索引である。詳細な索引がついていれば,ある特定のテーマに関係のある記述部分だけを選んで読むことができる。たとえば,人名索引の中にイェーリングというドイツの法律学者の名前があれば,その名前が出ている頁だけを調べることになる。著者がイェーリングについてどのようなコメントをしているかは,その部分についての戦術的読書メモをとっておけば,ある程度判断することができる。
 文献の中から必要な個所だけを選び出して読むもう1つの方法は,目次の利用である。目次は,論文の骨組みを示すものだから,目次を参考にして,関係のありそうな章や節を拾い読みすることができる。このやり方に,すでに作成してある戦略的読書メモを組み合わせれば,相当程度戦術的な読書をすることができるのである。 

2-8 文献の要約と批判

 すでに説明したように,論文には,何らかの意味で「新しい」情報が入っていることが求められている。情報が新しいかどうかを判断する1つの方法は,これまでの議論を整理することである。というのは,これまで言われていることを確認できれば,自分の伝えようとするメッセージがすでに言われていることの繰り返しであるかどうかは判別できるからである。戦略的読書は,これまでの議論の到達点を知るための1つの方法であった。 もう1つの方法は,「批判」と呼ばれる作業である。批判といっても,文献の批判とは,その文献を悪しざまに言ったり,作者をこきおろしたりすることではない。その基本は,文献の作者が伝えようとするメッセージ(結論)とそれを導き出すために作者が用意したシナリオ(話の筋道)の間に矛盾がないかどうか,また話の運びを納得させようとして作者が提供する証拠や根拠が十分かどうかを確認することなのである。その点に問題がなければ,さらに,作者のメッセージと両立しないようなメッセージを考える余地はないかどうか,同じメッセージを引き出すにしても,もっとよいシナリオはないのかを考えることも文献批判に含まれるのである。
 文献批判によって,対象文献のシナリオや論証の不十分さを明らかにすることができたり,よりすぐれたシナリオや証拠を提示することができれば,それは疑いもなく新しいメッセージである。つまり,文献批判は,論文の新しさと価値を示すための常套手段の1つである。
 そこで,文献批判の具体的手順を理解するために,すでに解説した章と節の作り方を思い出していただきたい。そこでは,章と節を作るために,1,000字シナリオを18の単文に分解した。その上で,「ほんとうにそうなの?」といちいち念押しをするような性癖の人を納得させるためには,どのようなデータ・証拠・根拠が必要かをそれぞれの単文について考えた。この手順は,そのまま文献批判に応用することができる。
 文献批判の場合,対象とする素材は完成した論文などであるから,シナリオの形にはなっていない。そこで,文献を分析して,その著者の伝えようとしているメッセージとそれを導き出しているシナリオを読み取ることがまず必要になる。それが,要約と呼ばれる作業である。
 要約を作るには,まずその文献のメッセージ(つまり結論)を確認する(これは戦略的読書である程度確認できているはずである)。次に,その結論に読者を導くためのシナリオを抽出するのだが,きちんと設計図を引いてから論文を書くような慎重な著者の論文であれば,シナリオは,章や節の見出しをつないでいく方法で比較的容易に抽出することができる。なぜなら,著者は,読者をぐいぐい引き込んでメッセージを受け取らせようとして筋書きを書いているはずだからである。論文が序論を除いて5章からできあがっていれば,著者は,メッセージを引き出すために5つの小話をつないでいると考えればよい。見出しは,それぞれの小話の要約であるから,見出しがつながっていくようにシナリオをまとめればよいのである。



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3 論文の執筆 では,原稿を書く作業について見ておこう。原稿を書き始める時点で最低限手元に必要なものは,次の通りである。
  論文のシナリオ
  論文の章立てと節立て(論文の詳細な目次)
  文献の読書メモ
  戦略的読書メモ,戦術的読書メモ
  統計資料など
  文献リスト
  参考資料本体(手元にあったほうが便利だが,比較的利用しやすければよい)

 さて,原稿執筆の本論に入ることにしよう。まず,論文の詳細な目次をコンピュータに入力する(すでに目次がメモファイルとしてできていれば,それを転用すればよい)。この目次が論文の設計図であるから,それに沿って文章を書き,実例や証拠を示していけばよいのである。 たいていの論文は,「はじめに」あるいは「序論」から始まる。「はじめに」は,単なる付け足しでもないし,おざなりな挨拶でもない。それは,ある意味では論文のもっとも重要な部分である。なぜなら,「はじめに」は,論文の顔あるいは映画の導入シーンのようなもので,読者に読み進もうという気持ちをもたせることを目的としているからである。「はじめに」を書くための材料は,すでに作成したシナリオである。シナリオは,論文を凝縮したようなものだから,それを活用して,その論文はどういう問題を,どういう角度から,どのような順番で論じるのかをわかりやすく説明し,どういう結論をメッセージとして伝えたいのかを読者が読みたくなるような仕方で提示するものである。自分がどうしてその問題を重要だと考えるようになったのかも書いておけば,読者に執筆者の視点と問題意識とを理解してもらう助けになるだろう。
 各章と節の執筆は,書きやすいところから書き進めばよい。注については,本文ができてから注をつけるという方法もあるが,本文と注とを同時平行的に書いていく方法を勧めたい。なぜなら,そうすることによって,注のつけ忘れを防ぐことができるだけでなく,本文を注にしたり,注を本文にしたりというような柔軟な操作ができるからである(注が執筆者の力量を測る1つの重要な指標であること,注の付け方にはちゃんとした理論があることは,すでに説明した通りである)。
 原稿を書くときは,読者が自分よりもはるかに少ない情報しかもっていないということを繰り返し意識する必要がある。あるテーマについて調査研究を続けると,だんだんと一定のことが他人も当然知っていることのように思えてくる。しかし,読者は執筆者ほどの知識も,関心も,問題に対する感覚ももっていないのがふつうであろう。
 原稿を書くときには,棒高跳びのように「助走をつけて」書くという方法がある。それは,執筆を一時中断して,時間をおいてから執筆を再開しようとする場合には,それまで書いた原稿を読み直してから書き始めるということである。そうすることによって,これまで自分が何をどのように論じてきたかについての記憶をリフレッシュすることができるし,自分の議論の方向を定めることができる。同時に,すでにできている文章の推敲もできる。
 文章を推敲するとき,コンピュータは非常に有効である。まず,表記の統一ができる。「かかわらず」にするか「拘わらず」にするか。「バージニア」か「ヴァージニア」か。「第一に」か「第1に」か,などこの種の表記は,文章が長くなればなるほど,不統一になる傾向がある。どこまで統一するかは,筆者が決めるにしても,コンピュータなら簡単にチェックができる。
 ワープロソフトには,英文などについて綴りが正しいかどうかを調べてくれる機能がある(この機能のことを「スペルチェック」と言う)。これを使うと,少なくとも綴りが明らかに間違っているということはなくなる。とくに,外国の文献を注で引用する場合には,この機能は大変便利である。また,ワープロソフトには,最近,文章推敲機能を持っているものがある。それは,ある程度文章の問題となりそうな個所を指摘してくれるので参考にすることもできる(もちろん,コンピュータのコメントを聞くかどうかは別である)。
 原稿ができあがったら,できれば数日そのままおいておいて,それから読み直してみるべきである。2度読み直してもわかりにくい部分があったら,書き直す必要がある。自分でわかりにくいのであれば,読者にはほとんど理解できないであろう。手直しをした上で,友人に読んでもらうのがよい(遠隔地にいる友人にも,電子メールで原稿を送って読んでもらうことができる)。この場合の友人とは,わかりにくいところを「わかりにくい」とはっきり言ってくれる人のことである。どこをどう直せばよいかは,ある程度の専門知識が必要だが,わかりやすいかどうかは高等教育を受けた人なら誰でも判断できる。わかりにくい個所は,執筆者の考えが十分にまとまっていないことが非常に多いのである。
 友人には,デジタル化された原稿のわかりにくい個所に特定の印(たとえば,$マーク)を付けてもらうのがよい。コンピュータの検索機能を使えば,該当個所を簡単に見つけることができるからである。さらに,友人がそれ以上に協力してくれるのであれば,原稿の内容に問題があるところに,元の文章を一部使って意見を書き込んでもらうこともできる(他人が書き込んだコメントであるかどうか判断できるソフトウェアもあるが,元の文章はそのままにしておいて,該当個所をコピーし,それにコメントや代案を付けてもらうのが簡便でよい)。
 コメントがついて帰ってきたファイルは,そのまま保存する。その上で,同じ内容のファイルを別の名前で作成する(ファイルをコピーすればよい)。なぜなら,元のファイルを修正すると,後でコメントの意味を確認できないことがあるからである。新しく作ったファイルには,「わかりにくい」というコメントがあちこちについているのだから,それに対処することを考えることになる。読者がわかりにくいと思うのは,話に具体性がない場合がほとんどだから,まず,具体例をあげて説明を追加することを考えるのがよいと思われる。ちゃんと説明しているつもりなのに,わかりにくいと言われたときには,腹を立ててはいけない。我慢して,自分が説明している部分をちゃんと読んでもらえるように文章を変えるのがよい。なぜなら,自分が読むように読者は読んでくれないということは,つねに起こるからである。
 説明を修整した前後の頁をコメントを付けてくれた人に返して,もう一度見てもらうのが理想である。そういうやり取りの中で自分の考えをもっと上手に表現できるようになるし,付け加えるべき事柄も発見できる。
 もちろん,コメントをすべて受け入れる必要はない。迷ったときには,元の文章とコメントを受け入れて修整した文章とを並べてみて,どちらがいいかを考えればよい。部分的に眺めているときには,難しくても,数行あるいは1つの段落を単位として並べてみると,たいていはどちらがよいか,容易に判断できるものである。こういう作業を丹念に繰り返すことによって,1つの論文ができあがる。


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